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2017年1月29日日曜日

象徴主義の存在(ヴァレリー)

われらのきわめて多様な象徴主義者たちはある否定によって結びあわされていたのであり、この否定は彼らの気質や彼らの創造者としての機能とは無関係なものだったのである。彼らに共通するのはひとつの否定のみであり、この否定こそ、彼らひとりひとりのうちに本質的な印として刻みこまれている。どれほど互いに異なるとはいえ、彼らは、当時の残りの作家や芸術家からはみな等しく区別された存在として互いに認めあっていた。(中略)彼らは、数による選挙を断念するという共通する決意において一致していたのである。つまり、彼らは大衆を征服することなど軽蔑しているのだ。そして彼らは、読者の数を願い求めることを断固として拒否するだけでなく、さらには、最も上品な諸階級に影響力を持つ人々ないしはグループの判断をも、同じようにはっきりと拒絶するのである。彼らは、完全に声望の定まった批評家たちがもっとも威厳ある新聞学芸欄で表明する判決や嘲弄を軽蔑したり嘲笑したりする。(中略)また同時に、読者の好意という利点を退け、栄誉などは軽視するが、それとは反対に、自分たちの聖人や英雄は称揚する。これらはまた彼らの殉教者であり彼らの美徳の模範でもある。彼らが賞賛する人々はみな苦しんだ。エドガー・ポーは極度の貧困のうちに死んだ。ボードレールは起訴された。ワーグナーはオペラ座で野次られた。ヴェルレーヌとランボーは放浪者であり不審者だと思われた。マラルメはとるに足らぬ時評家にさえ物笑いの種にされた。ヴェリエ(リラダン)は、みすぼらしい部屋のなか、自分の原稿とキプロス王国およびエルサレム王国の王位継承証書とを入れた小さな鞄の脇で床の上に寝るのだ。

(中略)

ご承知のように、断念は苦行にかなり似ている。苦行するとは、大変で苦痛を伴いさえする手段によって、自分を打ち立て構築し、より優れたものと予感されるなんらかの状態へと自分を高めようとすることである。この向上への欲望、この禁欲への欲望が芸術の領域にはっきりとあらわれ、真の芸術家の生活と作品生産とのひとつの条件になったこと、これはまったく新しい事実であり、また、いまだ名のないこの象徴主義の真正なる全参加者に認められる深い特徴なのである。

象徴主義の存在(ヴァレリー)