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2016年6月16日木曜日

壁の向こう側 ~参院選へ向けて

参院選(2016)へ向けて。

壁の向こう側

格差社会をテーマにした近未来小説。
企画の段階で内容が変更になったため、お蔵入りしたもの。
無料でお読みいただけます。

2016年6月14日火曜日

臓器移植 我、せずされず(池田清彦)

臓器移植 我、せずされず

いくつかのポイント。

死はプロセスであって、「この時点で死です」と科学的に定義することはできない。
一般にいわれている死というのは社会的な「みなし」である。

市場主義経済の観点から見たとしても、自分の肉体は労働などで得たものではないので、所有したりされたりすることはできない。
脳死か心臓死かという死の自己決定権があるわけではなく、身体の管理権があるのみ。

コントロール(管理)に対する問題。
科学や国家などの「好コントロール装置」は大自然に引き続いて、身体を、個人を、遺伝子を、管理下に置きかねない。

***

所有の概念の問題は、ひろげると自然、地球、土地にまで及ぶ。
たとえば土地の個人所有はおかしいと思っている。(国境も同じ)
所有ではなく共有と考えたほうが実態に近い。(すべての動植物と)
自分のものなどない、すべては借りものにすぎないと考えるなら、エゴはずいぶん変わってくる気もする。

自分の身体を自分の所有としない考え(つまり、命を与えられた、生かされている、ということ)は、つきつめると神とか宇宙の意思にたどりつきそうだが…

この本の論旨では自殺や尊厳死は否定されるが、心情的には大人の自殺は擁護したい。(子供の自殺は論外)

2016年6月7日火曜日

世界犯罪史(ウィルソン)

ラヴクラフトは現代文明の流れ全体に腐敗要素があり、このために自分のような人間はアウトサイダーや反抗者の立場に追い込まれると考えた。
この認識を最初に強調したのは二世紀以上も前の人、フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーだった。(中略)
ルソーによれば文明はまがり角を間違えた。その価値もすべて間違い。尺度が成功にあるため、成功が成功を生み、間違いが積み重なるだけ。人類は種族単位で小さく静かな田園社会に住むケースがもっとも幸福。都市は醜悪以外のなにものでもない。
(中略)
人間は宇宙との「調子がはずれ」、「稼いで消費する」浅ましい世界の罠にはまっている。この不平は産業がヨーロッパに広まるにつれ明確な形を帯びはじめる。「美への飢え」だ。ロマン派の詩人によれば、美は必須ビタミンで、これが欠乏すれば魂はひからびる。英国の文学者ラスキンは詩人イエーツの父親にこう語っている。「大英博物館に通っているが、人々の顔が日々醜くなるのを感ずる」。イエーツ本人もこう書いている。「不格好な事物の悪は、語りつくせないほどにひどい悪である」。唯美主義者が唱える「美の宗教」は嘲笑の的とされて久しいが、その嘲笑は的外れと断ぜざるをえない。美を語ることは「なにか雲のうえの退屈なおしゃべり」とは根源的に異なる。それは「美の欠乏は、カルシウム不足や放射能への暴露と同様、ついには悲惨な結果をもたらす」ことの本能的な認識にほかならない。美の欠乏は意思の立ち枯れと生命力の衰弱を招く。

世界犯罪史(ウィルソン)

2016年6月6日月曜日

「しょうがない」はきりがない

いつも思うことがある。

「しょうがない」はきりがない。
添加物? しょうがないよ、そのくらい、死にゃしないって。
社会問題? しょうがないよ、そういう世のなかじゃん。
戦争? しょうがない、命令だから行くか。

しょうがないは、いいだすと、きりがない。
しょうがないっていわない人たちが、革命を起こした。
原始人たちがしょうがないっていってたら、洞窟生活のままだった。
日常生活でも同じこと。

だから、正しくないと思うことは、しょうがないっていいたくないんだよ。

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過去に書いたもの。
たぶん、賃貸の件でごちゃごちゃやっていたとき。
でも、結局は足もとビジネスなので妥協せざるをえない。
貧困ビジネスとかいろいろあるけど、「足もとビジネス」という言葉もぜひ提唱したい。
インフラなどを取って、ユーザーの足もとを見ることができる商売のこと。