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2016年3月24日木曜日

日本文学(?)と感傷主義

まともな出版社をさがしていて見つけたのだけれど。

http://shinjindo.jp/contents/maruyama_award.html
(少しスクロールダウンした、「そもそも文学という行為は…」から)

この人のいっていることは100%正しい。
明治大正のころでさえ、まともな書き手はほとんどいなかった。特に大御所ほどだめ。
精神性が非常に低く、文学でさえない、土着のなにか。
日本はなんでもそうだけど、ただ形式を真似ただけ。(特に詩がそう。日本語そのものが非音楽的で美しくないので、あの形式でやる意味がない)
当時から質的にからっぽで、いまもからっぽのまま。
ろくな書き手がいない。
ずっとこの流れできているので、文学としていいか悪いかを判断する目もなく、専門家のみならず読者の質がぞっとするほど低い。
いい作品を読んでいなければいい目だって育つわけもない。
このことをわかっている人は本当に少ない。

日本および日本人は感傷主義だと思っていて、基本的にめそめそしている。
ぼくはこうなんだ、いや、ああなんだ。ぼくは、ぼくは。
悲しかった、嬉しかった、うんぬん。
右は右で、父祖は正しかったんだと「思いたい」。
まったく非合理な慣習を「信じたい」。

個とか我をこえたもっと大きなものがある。
神、宗教、形而上、美、精神、世界、宇宙…
そこを問題にすればいいのに、まさにそここそからっぽときている。

2016年3月9日水曜日

オカルト(ウィルソン)

サイバネティックス学者の観点からすると、宇宙を情報と情報処理という形で考察することが可能であると指摘した。(中略)フォスター博士はさらに続けてこう述べた。「物質の本質は、原子が宇宙のアルファベットであり、化合物は単語であり、DNAはどちらかというと長い文章もしくはまるまる一冊の本であり、その本は象とかキリンとか、さらには人間とかいったものを表現しようとしているのである、ということは明白であるに違いない」
(中略)
「波」を宇宙の基礎語彙と考えることができるならば、生命を――いや、すべての物質さえも――なんらかの仕方でサイバネティックスふうにプログラムされた波によるものと考えることができるかのようだ。
(中略)
博士が問題にしているのは、プログラミングをしているのはなにものかということについての理論よりも、自然の全般にわたってプログラミングがあるという事実なのである。彼が問題にしているのは、いかにして情報がDNAに伝えられるかという疑問であるが、そこで「宇宙線」がもっともな仮定として登場してくる。
(中略)
彼は、さらに続けて、すべてが精神と意味であるからには、精神と肉体の二元論はいつわりであり、わたしたちが「肉体は物質である」と想定するのは、肉体の振動率が速すぎてわたしたちの精神には理解することも分析することもできないからであると論じている。実際、人体は自然のなかにある意味を直接的に、調和的な共振によって理解しているのである。「そして、いったいどうして人体は、人体すべてが精神でなかったならば、そのとてつもない化学的な複雑さを制御することができるのでしょうか」

オカルト(ウィルソン)