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2016年2月29日月曜日

偽物の時代

現代日本のことを「偽物の時代」って勝手に呼んでいます。
香料、着色料、自分で歌えない歌手、フォトショップされた雑誌、全然見識の高くない有識者たち、イメージだけの嘘広告、ユーザーをだます企業、などなど…
よりよい生活。

でも、この生活という言葉のなかに、思想がない。あるのは、金とモノだけです。

日本では質が問われない、という印象があります。
質という言葉は、精神とも置きかえられるかもしれません。
肩書き、モノ、数字、目に見えるものにばかり依拠していて、中身がない。
だから、住宅とか、ライフスタイルとか、海外のものをいろいろと持ってくるわりには、そこに宿っていたはずの精神がすっかり置き去りになっている。
日本人はものを空洞化するのが大好きで、なんでも形だけのものにしてしまう。冠婚葬祭、クリスマス、などなど。
こんなに精神面がからっぽの民族ってほかにあるのかと、非常に疑問ですが…
仏教が長かったわりには、その精神もほとんど生き残っていませんね…


日本人って、哲学・宗教・思想とかにうとすぎるのではないか? という思いが普段からあります。
知識として学んだかどうかではなく、そもそもほとんど考えていないのではないでしょうか。
なぜ生きるのか? 死ぬとはどういうことか? どう生きたらいいのか? とか。
だから、自己を見つめるとかもできないし、本質なんてなおさらです。


これも普段から考えていることなんですが、気高さとか、高潔さ、そういった精神的な態度がゼロだと感じます。
実利実益の前ではもちろん、そんなものは無価値なわけですが、その結果、立派な人間なんていなくなったし、怒ることも戦うこともない。
江戸っ子とか、本当の貴族とかが持っていたかもしれない、そういう精神的な価値を、金とモノとひきかえにごっそり捨ててしまいました。


(メールより)

2016年2月28日日曜日

低気圧の日

http://adachishingo.net/bib/i/?book=teikiatsu

作品を追加しました。

【収録作】
かげろう
歩く
生きづらい
低気圧の日

エッセイ、短編、散文詩。
無料でお読みいただけます。

2016年2月22日月曜日

鹿児島・桜島・海!(猫)


2015年最悪だったことは、車の運転で死にそうになったこと。同乗者を殺しそうになったこと。チンピラが追いかけてきてウィンドウを殴られたこと。
2016年最悪のことは、飛行機に乗り遅れたこと。これ以上悪いことはきっともう起こるまい。

(以下、旅行記を書こうとして断念)

***



一緒に転がっていた写真もなんとなく。
13歳オス。

2016年2月20日土曜日

エイリアンの夜明け(ウィルソン)

天文学者のデヴィッド・ダーリングの意見はこうだ。「(中略)なにが現実かを確立するうえで、意識は決定的な役割をはたしているのだ。われわれの五感に届いた時点では、どんな情報もせいぜいが実態のない混沌としたエネルギーでしかない。視覚、聴覚などどれをとっても、われわれが物理的世界に向けて投影する情報ほど首尾一貫した状態ではない。われわれが知っている宇宙は、完全に脳のなかで構築され、体験されているのであり、精神によって構築されるまで、現実は舞台のそでで待っていなくてはならないのだ」
すでに書いたように、物理学者ジョン・ホイーラーはさらにその先を行っている。光子は観察されてはじめて”実体”になるところから出発して、二重スリットの実験を遠くの恒星からの光(何百万年も前に発せられた光)でおこなってみてはと指摘する。もし観察によって波動関数が崩壊するまでは光が”蓋然性の波”であるなら、その光が観察されるまで星(生物が住んでいないとして)もまた蓋然性の波でしかないと見なさなくてはならない。
(中略)
そして量子論には不可欠のもうひとつの要素、精神がある。精神はなんらかの方法で、波を粒子として、またエネルギーを物質として凍結させるのだ。精神はエネルギー体系の一部ではなく、どこかその体系から独立し、超越した存在のようである。

エイリアンの夜明け(ウィルソン)

アトランティスの遺産(ウィルソン)

確かにグリンブルは、イルカ呼びのことは耳にしていた。シャーマンが、ある種の魔法を使って呼ぶと、イルカたちがやってきて岸にあがってくるという話だ。彼はこれを、縄を使ったインド人の手品と同種のものと考えていた。どうやるのかを訪ねてみると、それはある特定の夢をみる能力にかかっていると聞かされる。イルカ呼びがこの夢をみることができれば、その霊は身体を離れて「イルカ人たち」をおとずれ、ごちそうを食べたり、踊ったりしにクマ村にやってくるよう招くことができるというのだ。イルカたちが港につくと、夢びとの霊は急いで自分の身体に戻り、部族にこれを知らせるという……

「キシェ部族の人間にとっては、人生を生きるということは、音楽を作曲することや、絵を描くこと、あるいは詩を書くことと似ている。正しい生き方で生きた一日一日は、芸術作品にもなりえるし、あるいは大失敗となる可能性もある…… キシェの人間は、毎日をいったいどう生きるかというプロセスについて、本当に深く真剣に考えなくてはならないのだ。したがって、西洋人を動かしている力であり、成果をはかる物差しでもある「生産性の法則」というのは、アメリカ先住民にとっては理解できないものであり、たとえ「生産性のある仕事」をなにひとつしなかったとしても、まっとうにすごした一日というのは、それだけでひとつの成果なのである」(人類学者ホールからの引用)

アトランティスの遺産(ウィルソン)

2016年2月14日日曜日

親愛なるHSP/HSSに・世を憂うHSPに宛てた言葉

自分が見て感じている世界はなんか違うなあと、子供のころから思っていました。
チェックリストの適合率はHSP10割、HSS9割です。

たとえば…人のネガティブな感情とかはすぐに伝わってきて嫌ですね。
店員さんがイライラ仕事してたりするともう本当にぞっとします。
悪いものがこっちにうつって、こっちまでイライラしてしまう。
あと、わざとではなく、相手に混ざってしまいます。
明るい人と一緒にいると明るくなるし、暗い人と一緒にいると暗くなったりします。

自然からはなにかよくわからないパワーを感じられて、花の世話をすると気持ちがつうじるのがわかります。
いまは寒いのでできませんけど、よく自然のなかへ出ていってぼーっとしてエナジーをもらっています。

苦手なものは本当にたくさんあって…音が気になるので部屋探しに苦労したり。
視界がふさがれている(目の前にビルがある)のも息苦しいのでまた苦労したり。
そのほか、人ごみ、煙草、香料、カフェイン、などなど…
歳をとって鈍感になるどころか、むしろどんどん研ぎ澄まされている気がします。

争いとか競争も嫌ですね…
なんだかよくわからない理由でネットも苦手になってしまって、SNSとか基本的にやっていません。

感性、感覚、感じ方って、一番ベーシックな部分に近いものなのかもしれません。
そのうえにのっかってる、人格とか、病とか以上に。
だから、なんだあ、同じ人種がいるんじゃん、と思って、ほっとします。
こういう繊細さってとてもいいことなのでは、重要なことなのでは、と思っています。
現代ではかえってしんどいかもしれませんけど、これから社会がよりよく豊かになるためには…

***

追記 9.8 世を憂うHSPに宛てた言葉

そもそも、日本は近代化なんてしていないんだと思います。
たまたま経済的にのしあがったものだから、意識面や精神面は成長していないにもかかわらず先進国だと勘違いして思いあがっている…

まず、人権意識が低すぎます。
誰か(たとえば沖縄)に対してひどいことがされているということは、いつ自分がそうされても不思議じゃない社会に生きているということです。
でも、人のために怒ったりしない。義憤とか、公憤とか、そういうものがありません。
危機感がないと、民主主義とか平和なんて維持できないのに。

また、俗物主義がひどい。
倫理や宗教的価値観がほぼないため、金と物と娯楽のみ追求という状態です。
生活生活とばかり唱えて、理想とかより高い人生の目標を持っていないみたいです。
無思想ということですね。
欧米はキリスト教文化のせいかここまでひどくないです。アジアや他の国々も。

自分で考える力を持っておらず、長いものには巻かれろ、よらば大樹の陰、そういう世渡りばかり。
ダメなところがあまりにたくさんありすぎて、いいだしたらきりがありませんが…

このどうしようもない社会を少しでもましにするために、いったい、自分になにができるだろうか…? という思いは常にありまして…
でも、適不適があって、個人にできることには限界があるのかな…とも思ってしまいます。
たとえば、ぼくは疲れやすく体力がないのでデモとかはちょっと苦手だったりします。
市民活動のなかで、街頭に立って署名集めとか、いろいろあるんですが、それも苦手。
だから、デスクワークをボランティアしたり、ものを持たない捨てないミニマルライフをやっていたり…
マイバッグを持ち歩くとか、添加物のはいったものは買わない(そういう企業にお金を流さない)とか、そういうレベルのことはひとりでいくらでもできると思います。
でも、人間そのものの腐敗している感じ、堕落している感じ、これは太刀打ちできなくて…
心を開いて生きるようにしていて、近隣の人と挨拶する、立ち話する、電車とかでもなにかあったら話しかけるとか…
でも、人を変えることはできないんだろうな、と思います。
自分の生き方で示す、作品で示す、というくらいしか…

希望がないです、正直。
心(精神)の問題だと思うので。
制度とか、法律とかじゃなく…
せめてぼくらだけでも流されてしまわずに、お互いに励ましあっていたいですね。

2016年2月11日木曜日

知の果てへの旅(ウィルソン)

ベルクソンは数学にも強い関心を抱く無神論者としてスタートする。しかし、オーベルニュで教鞭をとりはじめると、自然に深く魅せられ、新しい世界観をはぐくむ。山や落日の美は理性では説明不可能なことを突然悟った。(中略)ものさしは空間をミリ単位で、時計は時間を秒単位で分割する。しかし、「時間とはなにか?」と問うとき、それが秒や分とはなんの関係もないことがわかる。それは「人の内部」で起きる事柄で、切れ目のない流れである。この「流れる」時に照準をあわせると、人は「いままでよりも深い自己」を備えていることに気づく。日常の自分とはまったく違った自分である。このような瞬間、人生には単なる物理的動きよりはるかに深い意味があることを人は感じる。ベルクソンは「この深い意味こそ哲学が真に探求すべき対象である」と言う。コントが現実の尺度と考えた科学は「分析」により機能するが、哲学は直観から出発しなければならない。

フランス哲学展望

目は、見て面白いものがなければ、「焦点を失い」がちとなる。心も同様だ。(中略)心を放置しておくと「自己陥没」しがちとなる。(中略)
以下、比喩でこれを説明したい。わたしは退屈すると、自分の内部に「ひきこもり」がちになる。その内部を一種の洞窟と考えていただきたい。狭く長い一本の通路があり、その先は陽の光につうじている。周囲で生ずることに興奮したり関心を抱いたりすると、わたしは洞窟の入口近くにやってくる。 しかし、会話に退屈すると、通路を引き返し「奥のほう」から事態を眺める。
(中略)
洞窟の入口で陽光と色彩に魅せられて立つとき、わたしは判断を停止する。もっぱら「吸収」するのみだ。(中略)一方、洞窟の奥のねぐらで深夜に目ざめると、想像上の家具にかこまれ物思いにふけることになる。これはかなり危険な状態だ。もし気苦労やうっとうしい事情があると気分に負のはずみがつき、ついにはパニックに襲われたり自殺願望にとりつかれたりする。すなわち、自分の主観性――意識が自己陥没したがる傾向――の犠牲となる。(中略)
これこそハイデガーが言う「存在の忘却」――現実世界の大きさと複雑さを忘れ、自分が所有している写真をその代替物として受け入れる傾向――の内容である。
(中略)
ここに人間のもっとも根源的な問題のひとつがある。(中略)いったん通路の途中の気に入りの場所に身をすえると、自分はまだ片足を夢の世界に残していること、外の「現実の世界」からはまだはるかに遠い距離にいることがよくわからない。(中略)ほぼ永続的な「価値低下」の暗い状態に沈みこむ。これが本来の客観的意識ではないということさえ自覚していない。
読者にはぜひわかってほしいが、これは病理学上の症状ではない。わたしたち大部分のいわゆる「日常意識」の問題である。ところで、日常意識とは「価値が低下した」意識にほかならない。詩人や神秘家はこのことにとっくに気づいている。

フッサールと進化

2016年2月7日日曜日

シャーロック・ホームズ(ドイル)

「これはなにを意味するんだ、ワトスン?」ホームズはその供述書をしたにおいて、おごそかにいった。「この苦難と暴行と不安の循環はなんの役をはたすのだ? なにかの目的がなければならない。さもなくばこの世は偶然によって支配されることになる。そんなことは考えられない。ではなんの目的があるというのか? これは永遠の問題としてのこされる。人知のおよぶところではない」

ボール箱

「ねえワトソン、考えてもみたまえ。野卑で肉欲的で世俗的な人間がみんな、用もないのに生きながらえることになる。崇高な人間は、さっさとより高いところへ行くのをいとわないからだ。そうなれば世のなかは生存の価値のないものばかりになる。それではこの世はまるで汚水だめと選ぶところがないではないか!」

這う男

2016年2月6日土曜日

シルヴィーとブルーノ(キャロル)

「神さまはうさぎを愛してらっしゃるかしら?」
「そうさ」とぼくはいった。「むろん愛しておられる。神さまはあらゆる生き物を愛しておられる。罪ぶかい人間でさえね。罪など犯せない動物はなおさらだよ」
「『罪』ってなんのことかしら」シルヴィーはいった。しかしぼくはあえて説明しなかった。
「さあ、お嬢ちゃん」とぼくは彼女をうながした。「かわいそうなうさぎにさよならをいって、木いちごをさがしにいこうね」
「さようなら、かわいそうなうさぎさん!」シルヴィーは素直にくりかえしたが、立ち去ろうとするとき肩ごしにそれを眺めやった。ここで、いっぺんに彼女の自制心がくずれた。ぼくの手をふりほどくと、息絶えたうさぎの倒れているところにかけ戻り、幼い子供とは思えないほどに嘆き悲しんで、そのかたわらにうつ伏した。
「ああ、かわいそう、かわいそう!」彼女は泣きじゃくりながら何度もくりかえした。「あなたの生涯を美しくとの神さまの御心だったのに」

シルヴィーとブルーノ(キャロル)