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2015年10月29日木曜日

追い求める男(コルタサル)

「あの男をはじめ、カマリロにいた連中はどいつもこいつもなにかを信じきっていた。それがなんだかわからないが、とにかく連中はなにかを信じきっていた。自分がどんな人間で、どれほど価値があるかってことか、それとも卒業証書かな。いや、そうじゃない。なかには謙虚な人間もいて、そういう連中は自分が絶対に正しいとは思っていなかった。だが、どんなに謙虚な奴でも自信だけは持っていたな。それ、つまり自信を持っているってのが気にくわなかったんだよ。連中は、なにに自信が持てたんだろう? なんとか言えよ、ブルーノ。この皮膚のしたは、悪魔も顔負けするくらい腐りはてている。そんなおれにでも、ありとあらゆるものがジェリーと同じで、外側がぶよぶよしていて震えていることくらいはわかっている。少し考え、少し感じ、少し黙っていれば、あらゆるものに穴があいていることはわかるはずだ。ドアやベッドはもちろん、手や新聞、時間、空気、ありとあらゆるものが穴だらけなんだ。すべてがスポンジか、自分をろ過するろ過機みたいなものなんだ……だが、連中はアメリカの科学そのものだ。わかるだろう? その穴から連中を守っているのが、白衣なんだよ。自分の目でものを見ようとしないんだ、連中は。他の人間が見たものをそのまま受け売りしているだけだ。そのくせ、自分の目で見たと思いこんでいる。もちろん連中があの穴に気づいていないことは、言うまでもない。ただ、自信だけは持っているんだ・・・(後略)」

追い求める男(コルタサル)

2015年10月28日水曜日

生きるというリスク

××くんの言っていることは、まったくぼくも普段から思っていることです。
奴隷根性でもあり、怠惰でもあり、なんなんでしょうね、それでいて無駄にエゴが肥大化していて、おれ様と思っている。
人生や生きることというのはそもそもリスクで成り立っているというのに、それを極力ごまかして見えないようにしたがる。
自動車という人命リスクを保険でごまかし、賃貸経営というリスクを保証会社でごまかす、しかも入居者の金で。
楽をして安全に生きようというのが合言葉で、なにかを命がけでやるとか、自分の仕事に誇りを持つとか、そういう感覚がもはやない。
高潔さとか、よく生きるとか、そんななんの実益もないような観念はみんな死んでいて。
生きるというリスクをごまかしているので、老人はどっかにほうりこんでおけばそれでよく、死や自殺や安楽死などについて考えもしない。
​​たとえはきりがありません。
欺瞞と幻想のまっただなかに生きているのはまさに自分自身なのに、そういう連中に限って現実だリアリズムだと叫ぶ。
こういうことを常に見いだしていると、もう本当にうんざりしてきて、こんな世界からは早く死んで脱出したもの勝ちなんだろうなとすら思います。

(メールより)

***

思うに、人生(自己)という点を中心にして、そこから放射状に、すべての問題は混然一体とつながっている。
そのため、仕事、生活、社会、などの問題をみんなつながったものとしてとらえていて、個々に考えない。
現実のいろいろな側面を、分類して論理化したり一般化できると考えるのは間違っている。
死について。
生命倫理という言葉がある。死の倫理は?
介護、介護疲れ、高齢者施設、問題はたくさんある。
本人の意思とかかわりなく、心臓と脳が機能してさえいればそれでいい?
結局、この問いは「人間とはなにか」というところに戻ってくる。
現代の信仰によると、人間とは物体にすぎず、物体として動いてさえいればそれでいい、ということらしい。
だから精神性や知性がぼろぼろなのかもしれない。

2015年10月17日土曜日

パリの憂鬱(ボードレール)

「わたしの美しい犬、わたしのかわいい犬、わたしの大切な犬よ、こっちへおいで。街一番の香水店で買ってきた高級な香水をかいでごらん。」
すると犬はさかんに尻尾を振りながら、つまりそれがどうやら人間における笑いとか微笑に相当する犬類の挨拶らしいのだが、わたしのもとへやってきて、栓を開けた瓶のうえにその湿った鼻先を押し当てる。それから、ふいにおびえたように後ずさりすると、まるでとがめるようにわたしに向かって吠えかかる。
「ああ! 困った犬だ。排泄物の塊でもくれてやれば、おまえは夢中でかぎまわり、たぶん貪り喰ってしまっただろう。おまえというやつは、わが悲しい人生の不甲斐ない伴侶よ、そういうところが公衆にそっくりだ。公衆に上品な香水など与えても憤慨させるばかりだから、彼らには用心深く選んだ汚物をこそ与えなければならないのだ。」

犬と香水瓶

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すべての人間に不満であり、わたし自身にも不満である。この夜の沈黙と孤独のなかで、わたしは多少なりともわが身をあがない、みずからの誇りを取り戻したいと思う。かつてわたしが愛した人々の魂よ、わたしがうたった人々の魂よ、どうかわたしを強くし、わたしを支え、世の虚偽と腐敗した瘴気をわたしから遠ざけてください。そして、あなた、わが神よ! わたしが人間のなかで最下等の者ではなく、またわたしが卑しむ人々よりもさらに劣った者でないことをみずからに証するために、せめて数行の美しい詩句を生み出せるようどうか恩寵をお授けください!

深夜一時に

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邪悪であるということは決して許されることではないが、自己の邪悪さを意識している人間はまだしも多少の見所がある。もっとも救いがたい悪徳は、愚かさから悪をなすことである。

贋金

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常に酔っていなければならない。すべてはそこにあり、それこそが唯一の問題だ。あなたの肩を圧し砕き、地面へ身をかしげさせる「時間」の恐るべき重荷を感じたくなければ、間断なく酔っていなければならない。
だが、なにによって酔うか。酒だろうと、詩だろうと、徳だろうと、それはなんだってよい。ただ酔っていなければならない。

酔うがよい

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この人生は、病人のひとりひとりがベッドをかえたいという欲求にとりつかれている病院である。ある者はどうせ苦しむのならせめて暖炉の前で苦しみたいと思い、また、ある者は窓際へ移れば病気がよくなると信じている。
わたしの場合は、自分がいまいるこの場所以外のところへ行きさえすれば、かならずうまくいきそうな気がする。そこで、この引越しはわたしが絶えずわたしの魂と議論を交わしている問題のひとつである。
「言ってくれ、わたしの魂よ、冷えきった哀れな魂よ、リスボンに住むのをおまえはどう思うか。気候は暑いはずだし、あそこでならおまえもとかげのように元気を取り戻すだろう。あの都市は水のほとりにある。人の噂では、街は大理石でつくられていて、住民は植物を異常に嫌い、樹木のたぐいはすっかり引き抜いてしまうそうだ。おまえの趣味にぴったりの風景ではないか。光と、鉱物と、それらを映す液体でできた風景!」
わたしの魂は答えない。
「おまえは運動するものを眺めながら休息するのがあんなに好きなんだから、オランダへ、あの至福の土地へいって暮らしたいとは思わないか。美術館でよくおまえが絵を見て讃嘆したあの国でなら、たぶんおまえも気分を紛らすことができるだろう。ロッテルダムをどう思う? だっておまえは帆柱の森や家々のすぐ足もとのもやい船などがお気に入りではないか。」
わたしの魂は沈黙したままだ。
「バタヴィアのほうがもっとおまえには楽しいだろうか。あそこなら熱帯の美と結婚したヨーロッパの精神が見つかるだろう。」
一言も答えない。わたしの魂は死んでしまったのか。
「それじゃおまえは、病のなかでしか心が慰まないまでに麻痺してしまったのか。もしそうなら、「死」のアナロジーの国々へ遁走しよう。これで決まりだ、哀れな魂よ! トランクをまとめてトルネオへ旅立とう。さらに遠く、バルチックの海の最果てまでも行こう。もし可能なら、さらに人生から遠く離れて極北の地に住もう。そこでは太陽は斜めに地面をかすめるばかりで、昼と夜のゆるやかな交代は多様性を消し去り、虚無の半身の単調さを増大させる。そこでは我々は長い暗闇の沐浴にひたることができるだろうし、その間、我々の気晴らしのために、オーロラが「地獄」の花火の反映のようなその薔薇色の光の束を時折我々に投げかけてくれるだろう!」
ついにわたしの魂は爆発し、賢明にこう叫ぶ。「どこだってかまうものか! どこだってかまうものか! それがこの世の外でありさえすれば!」

ANY WHERE OUT OF THE WORLD

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信仰告白。
ボードレールは美しすぎる。
少年のころから敬愛している。

2015年10月10日土曜日

人間とはなにか(ホッファー)

ある程度の自己否定は倫理的要因であると同時に創造的要因でもある(中略)豊かで自由な社会が秩序と安定を維持するには創造的社会とならねばならない(中略)創造的な人々は苦しみを信頼している。

人間とはなにか(ホッファー)

2015年10月6日火曜日

ゴーチエ幻想作品集

いかなる力もひとたび存在したものを滅ぼすことはできぬ。万物の遍在する大海に落ちたすべての行為、すべての言葉、すべての形、すべての思想が、そこに波紋をつくりだし、それは永遠のはてまで広がってゆく。

アッリア・マルケッラ