ページ

2013年6月26日水曜日

わたしなりの堕落論

 過日、読書会というのがあった。安吾の『堕落論』。一読して、さすがの文章だとは思ったものの、ぴんとこなかった。拾い読みなどをして、それでも釈然としない。わたしが共感したのは、むしろほとんど関係のない、次のような文章ですらあった。

 戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。

 破滅の美学。混沌ゆえの開放感。まったく本当に違いない。
 それはともかく、読書会の後の討論でわたしは問うた。
「堕落するというのは、堕落していない状態を前提としていると思うのだが、堕落する前の状態というのはいったいなにを指して言うのか」
 ある人は、原文を指して、若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となると書いてあるのだから、そういうことだと言う。とすると、徴兵されている状態が堕落していない状態なのだろうか。しかしその前は? それに、戦争に行かなかった人たちは?
 また、戦後の限定的な世情を対象にしているこの作に対し、「現代の堕落とは」と問うた。
 ある人は、ニートなど仕事をしていない状態がそのひとつではないかと言う。しかし、それほど単純なものだろうか。働けない人、働きたくない人は本当に堕落しているのだろうか。あるいは、堕落の定義に情状酌量があるのだろうか。
 わたしが求めていたのは、もう少しばかり本質的な考察だった。にあげた例はどれも、安吾の言葉を借りて言えば、上皮だけのものに思える。
 堕落。
 言葉それ自体がなにか宗教的なにおいがするということはいても、これはもう少し内的なことではないだろうか。単に落ちぶれるという以上のものがある。その人の魂や精神、存在そのものを指して言うもののように聞こえる。
 堕落を論ずるなら、当然、堕落していない状態の考察が必要だろう。いったい、なにが堕落で、なにがそうでないのか。
 ところが、ここに問題がある。まず、ありとあらゆる宗教が違うことを言っている。いわく、性的なことはだめだ、いや、そのくらいはいいんだ。現代社会でさえ、文化によって、地域によって、言っていることが違う。大麻は大丈夫だ、いや、だめだ。人を殺してはいけない、でも、死刑はいい、それどころか、戦争のときにはむしろ積極的に殺せ。いったい、なにを信じて、堕落とそうでないものを区別をすればいいというのか。
 昔は信仰という生きるよすががあった。しかしいまはなにもない。国家はいつ裏切るかわからない、国家は信じるに値しない。戦後の日本人は誰もがよくわかっている。それどころか、無思想な現代においては、すべての価値観は相対的なのだ。ある人は金金と言って生きる、ある人はのんびり生きる、ある人は奴隷のようになりたがるし、ある人は自由を求める。そこにはもはや堕落もなにもない。
 なにもかもが相対化されたとき、生業や、合法か非合法かなどということは問題だろうか。この国では殺人は罪だが、死刑や自衛隊が海外で暴れることは罪でないのだ。であれば、特攻隊になろうが、闇屋になろうが、勤労しようが、家でごろごろしていようが、しょせんは相対的な価値観にすぎないのではないか。
 時代だ。それは時代が決めることだ。そうなのかもしれない。しかしながら、時代や社会によって変わってくる相対的な倫理とはなんだろうか。誰か偉い人がそう言えばそうなのだろうか。みんながひとつの方向に流れていくならそうなのだろうか。
 ちょっと前に賛美されていた消費生活はそろそろ非難されつつある。いまよしとされていることも、未来にはだめとされるかもしれない。このように、堕落の是非は変化する。しかしそうではなくて、時間や空間に左右されない、人間存在そのものとしてのありようこそが問われているのではないだろうか。
 そもそも堕落はあるのか。本質を問うなら、まずここが問題だ。そんなものはないと言えば、非常に自由で、アナーキーで、好きな考え方ではある。
 強いて、ひとつ考えた。
 思考を停止すること。
 人は、問い考える。問い考えることがなければ、動物と同じで、文明もなにもそもそもないのだ。ところが思春期を脱して年齢を重ねると、「まあそういうもんだ」と言いはじめる。そうして自分では考えなくなる。どこかで聞いた誰かの見解を信じ込んで、それが自分の考えだと勘違いしてしまう。社会っていうのはこういうものなんだ。常識っていうのはこうなんだ。
 しかし、このなにもかもが相対化されてしまった世界で、人間に残された最後の砦は、それでも問い考えることではないだろうか。最終的にどこへもたどりかなくても、問い考え続けるその過程にこそ意義はあるのかもしれない。
 鵜呑みはつまらない。他人に従って流されるのはつまらない。自分の主人は自分だけなのだ。もし、考えないで流されてしまうなら、それが堕落なのだろう。あの戦争だって、結局はそういうことだったのだから。

りゅう、せい

弟に

 両親の次に付き合いが長いのは弟だ。どんな親友よりも長い。どんな恋人よりも長い。
 色々なことがあった。殴り合いもあったし、殺すの殺さないのということさえあった。お互い年をとって大人になって、しかし腹を割って話したことはなかったように思う。弟は昔から家に居つかなかったし、ぼくはぼくで弟にはなにも期待していなかった。人種が違いすぎて、話し相手になると思っていなかったのだ。その上弟は数年前に家を出てしまっていた。疎遠になって久しかった。
 去年の夏のことだが、朝目覚めると人の侵入した形跡があって、弟が客間で寝ていた。なんでも、地元の友達と飲んでそのまま実家を寝床として利用したのだという。ぼくは実家でひとり暮らしをしていたのだ。その日は休みだというから、それでは夕食がてら飲もうということになり、男二人で買い出しに行くと色々そろえて帰ってきた。出来合いの天ぷらだの刺身だのを食べる。自炊の身にはごちそうだ。一緒に買ってきたしそ焼酎を飲みながら音楽をかける。自然と話題は音楽のことになる。
 そもそも弟が音楽をはじめたのはぼくの影響だった。中学生の頃にまずぼくがエレキギターをはじめ、それから弟に教えてやった。下手なギターをアンプにつなぎもせず合わせたりしていたものだ。一緒にバンドをやっていた時期もある。自宅で轟音を出していたら隣家から苦情がきたこともあった。そのうち音楽の才能に見切りをつけたぼくはいつしかやめてしまっていた。ぼくには他に文学というのがあった。
 弟はずっと音楽を続けていた。バンドを組み、音源を自主制作し、地方へ遠征などへも行っていた。そうしていまは一人でやっているのだという。
 畑こそ違うが、ぼく自身もずっと文学をやっている。創作をすること、なぜ、なんのために、などという話になる。ぼくはここ数年行き詰まっていた。
「芸術至上主義だよ。この物質社会で、金や物だけがすべてなんてつまらない」
 こんな発言を青いと取るかどうかは人それぞれだろう。ぼくは弟がこんな立派なことを言えるようになったのかと驚いた。ただ楽しいからとか、それで喰っていきたいからとか、そんな理由でやっていると思っていたのだ。
 創作活動をすることと、生活、生きることは密接に関わってくる。人は食べなくてはならないし、与えられている時間も体力も大差ないのだから。
 創作に時間を割くということは他のなにかを捨てることだ。たとえば毎日八何時間かそれ以上も働いていたら他の活動はほとんどできないだろう。特に創造的なことは心身のゆとりをも必要とする。忙殺されるわけにはいかない。当然、ライフスタイルや人生そのものの選択肢は狭まってくる。
 どう生きるのか、どう世間と妥協するのか、どういう精神を持てばいいのか。
 ぼく自身はといえば行き詰まって長かった。文学では喰えなかったし、かといって仕事もうまくいかなかった。なにかしらがだめになってしまうのだ。不本意な労働からなにかを得ている気がまったくしない。権威的だったり自分勝手な上司とはすぐ喧嘩になった。不眠症になったり、心身ともにぼろぼろになったりしていた。しかしそれでも、人並みに生きなくてはならないのじゃないか、そんな社会通念やら強迫観念に悩まされていた。その点、弟はもっとずっと自由だった。
 そもそもぼくは生まれつき繊弱で、気の滅入る質だった。鬱だと診断されたこともある。物心ついた頃からほとんど常に死んでしまいたかった。
 そんな話も少しした。
 焼酎を一本全部あけてしまい、飲み足りないので、弟が近所の酒屋まで走って芋焼酎を一本買ってきてくれた。そのときはすでに酔っていたせいかうまいと思って飲んだが、その後は芋は飲める気がしない。
 その日のうちに帰りたいというので弟は帰ってしまい、ぼくはひとり残りの焼酎を飲み続け、ついには全部あけてしまった。それを悪酔いというのか知らないが、飲んで飲んで死んでしまいたいという気になることがあって、そんなつもりで飲んでいた。
 そのあとひどく吐いて、一晩中苦しみにのたうちまわった。
 昨年はそれきりになったが、正月以降何回か会う機会があり、そのたびに飲みかつ話した。ぼくの方から弟の部屋へ押しかけていったこともあった。弟の自由な精神に感化されたかったし、ぼくはといえば孤独で寂しがりだった。
 いつだったか、ぼくは手首を見せて、傷が気になって嫌なんだと言ったことがある。縫い跡の残る醜いものだ。それはぼくにとっては重大な告白だった。
 それから自殺の話になり、弟の知人の音楽家にも自殺をしたものが何人かいるという。「考えすぎちゃうんだろうね。自殺は悲しいよ」そう言って二人で泣いたのを憶えている。
 盆休みに両親のいる土地へ一緒に行こうという話になり、実に数年ぶりに家族全員がそろった。観光をほんの少し、あとは毎日だらだらと過ごした。ほとんど毎晩飲んだ。弟のいる生活というのは妙に新鮮だった。
 ある夜星がきれいだというのでみんなで外へ出た。標高のかなりある山奥だ。真っ暗な道路を歩きながら空を見上げると満天の星だった。首都圏の空はこんなではない。星屑まで見えた。天の川のような星雲まで見えるようだった。
 さっき流れ星を見たと弟が言う。また見えないかと探しているのだった。
 流れ星は努力だけでは発見できない。天空のすべてを360度一望できるわけもなく、常に死角がある。右手の空を探しているときに左手の空を流れ落ちていくかもしれない。前方ではなく背後かもしれない。そうして誰かが「あっ!」と言ったときにはもう消えている。流れ星こそまさに運を象徴しているように思えた。
 弟が三つ見たと言ったときにもぼくは相変わらずゼロだった。ぼくは意気消沈して、目の錯覚なんじゃないかとまで言い出す始末だった。
 劣等感とも少し違うが、ぼくには弟をうらやましく思う気持ちがずっとある。同じ血と同じ肉。しかしながら弟は明るく前向きで、ぼくはといえば鬱気味の悲観的な人間だ。流れ星にさえその差異が端的に表れている。流れ星の発見率というのはなにかを暗示しているように思われて、ぼくは深刻に絶望しかけていた。
 さあそろそろ帰ろうという段になってもぼくはまだ諦めずに探し続けていた。
 ふっと、飛行機でも墜落していくような光芒が弧を描いた。それは星々よりずっと大きく、明るく、電球のような黄色みを帯びた光だった。隕石が燃えているのだ。ほんの一瞬だが、尾を引いて。願い事を三回というのは無理な注文だ。しかし目の錯覚ではあり得なかった。それは確かに流れ星だった。
「きっといいことあるよ」そう弟は言ってくれた。
 帰宅し、その夜はだいぶ飲んだ。
 しかし、話題は悪い方へ流れてゆき、ひどいことばかりあった過去の話になる。本当にひどかったのだ。散々だった。
 どんどん気が滅入っていく。そうしてついには、いまだに死にたいという気持ちが消えない、こんな自分はどうしたらいいのか、などと言い出すに及んだ。ぼくの希死念慮は時期によって変動があるのだが、その時期は女のことがあって特によくないのだった。
 そういった感覚をまったく理解できない弟は、「そんなのばかだ」といったようなことを繰り返した。
 ぼく自身うまく説明できないのだが、それは、お腹が減ったとか、疲れたとか、そういう感じなのだとしか言いようがない。事実それはある「感じ」なのだ。理屈ではない。ふっとそうなるのだ。ふっ、と。
 生きていて楽しくないとか、希望が持てないとか、絶望しているとか、言い様は色々あるだろう。しかし、厳密にはそういうことですらないのだ。それは心の穴に巣くっていて、時と場所を選ばず突然現れる。どんなに楽しいことをしている瞬間にすらふっと醒めるのだ。子供の頃から慣れっこで、こんな風に心が動くのがぼくにとっては普通で当たり前のことだった。
「なんだか悲しくなっちゃった」そう言って席を外すと、戻ってきてから弟は涙をぬぐった。それを見てぼくも泣いた。

 誰か泣いてくれる人がいるのなら、弟があんな風に泣いてくれるのなら、死ぬわけにはいかない、生きる他ない、最近はそんな風に思う。言い聞かせている。
 こんなことはもっとずっと昔に学ぶことなのかもしれない。ぼくにはその機会がなかった。
 人々の心には穴なんてあいていなくて、そこは、大切な人の姿で埋まっているのかもしれない。泣いてくれるに違いない人。
 この穴を、ぼくは埋めることができそうにない。しかし、それでも、死ぬわけにはいかない、生きる他ない。弟とあの夜の流星を思い浮かべながら。