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2013年1月9日水曜日

理想主義者であること

 政治の話題というのはタブーのひとつである。正しい答えなどないし、それでいて頑固な主張をみな持っている。感情的になる。仲よしの間さえ引き裂きかねない禁忌だ、これは。
 家族と酒を飲んでいて、なぜだか、戦争の話になった。右とか左とか、九条の話から流れたのかも知れない。近頃の日本は右傾していると海外は見ているらしい。
「戦争はなくならないよ」と弟。唖然とする。
「だから仕方ないってこと?」
「それが人間なんだよ」生悪説か。
「戦争の悲惨さを知らない世代がそんなことは言えないだろう。福島よりずっとひどいんだ」
「それじゃ具体的にどうするの」
 言葉に窮する。所詮自分は論客ではない。ただの理想主義者だ。しかも実行力の伴わない方のやつである。弟は現実主義者に見える。ああ、うまくいかないなと思ったら、現実に即して妥協することができる。より楽に生きられるように、意地を張って苦しまないように。
「大事なのは、戦争がなくなるかどうかじゃなくて、なくしたいと思ってるかどうか、そこなんじゃないか」
 弁の立たない自分にしては最善の回答だったのではないか。精神論だ。しかし、いま重要なのは、どんな世の中にしたいか、まずそこの意識なのではないか。震災が起こって、資本主義はとっくに行き詰まっているし、いままでのやり方ではうまくいかない、新規まき直しの時代。少なくとも自分にはそう見える。そんなときに問われるのは、どんな世の中にしたいか。
 弟とは、ある程度似ているが、圧倒的な断絶に気づいた気がする。現実主義と理想主義。自分なんぞは、白昼夢のような理想を追い続けて、そうして理想のために死んでしまうんだろう。自分が自分であることの、限界のひとつである。こればかりはどうしようもない。
 さてそれから、意識的にそういった話題は避けて、飲み続けたのだった。弟はつぶれた。