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2013年11月13日水曜日

Lyric / El Sol / Zwan


ぼくの心をあげるから
この鎖をほどいておくれ


ちっぽけな陽差しと共感

陽差しと紅茶

ほしかったのはそれだけ

***

匂いの記憶、音の記憶
あるときの、ある感情

2013年10月5日土曜日

夢中占夢

「目をリストカットしたと書いてある」
 父がいう。
「おかしな表現だ」
 わたし。
「そうじゃない。中学生がそんなことをしているってことが問題なんだ」
「矛盾した表現だっていってるんだ」
「そんなことはどうでもいいんだ」
「あのときのことだって憶えていないからそんなことをいうんだ」
 深くえぐる傷。
 最悪な気分になって、飛び出す。浜へ向かってかけていく。
 すぐ、浜だ。明け方前で、真っ暗。遠くに月が浮かんでいるような気がする。満潮時で、浜の形が変わっている。よく、わからない。足の近くまで水がきている。少しだけ光を反射して、遠くまで、ぼんやりと。
 砂の上を、足早に歩いていく。後ろから犬がやってきた。この犬は、いい犬だ。少し、並んで歩く。そうしてすぐにどこかへ行ってしまう。
 さらに歩いていくと、自転車に乗った中学生たちとすれ違う。まったく同じ形の自転車で、白いのに乗っている子と、黒いのに乗っている子とにわかれている。男子中学生の集団におそれをなすというのは、誰でも抱く心理だろうか、などと考える。大人ではないが、子供でもないのだから。
 中学生たちは過ぎ去っていってしまい、同じ自転車に乗った高学年の小学生たちがあとからやってきた。先輩たちのあとに続いているのかもしれない。ふたり、知っている子がいる。片方は思い出せない。もう一方の子は、白い自転車で目の前まで迫ってくる。この子は、わたしを憎んでいる。わたしを圧迫してきて、しかし、思い出せない方の子が、なだめる。わたしのためか、どうか。あるいは、なだめていたのは、わたし自身か。
 やがて、その場を去って、いつの間にか、街へ、住宅地のなかへ出ていた。

2013年8月18日日曜日

あい

 友に、文(ふみ)を書いた。

「君はサラリーマン生活が長いせいか、すっかり俗人になってしまって、芸術家としての自覚も矜持もないようだ」

 といったような内容のものだ。

 こんなやりとりは、いかにも古い時代、人々がまだ熱かった時代にしか見かけないもののようだが、つい先ごろ実際にあった話だ。

 言語表現というのは特殊だ。そこには、すべてが赤裸々に文字となってしまう。その人の人格、思考、過去、からっぽだな、ということまで、すべてが表れてしまう。隠しようがない。頭の中身を公開しているのとほとんど同じだ。
 このため、言語をあまり使用しない他の表現と比べたとき、発表の苦痛は比較にならない。「キモイ絵だね」ですむところが、どこがどう具体的にキモイのか、その人の思考の過程がなのか、行間からにじみ出る人生の背景がなのか、すべてがあからさまだ。

 そのせいか、古い知人も含めてわたしの周囲には、顔と名前と作品が一致する書き手がひとりもいない。わたしだけだ。
 このことは、街で知人に会ったとき、「君の作品読んだよ、あんなエログロなこと考えてるの」とか、「ずいぶんひどい人生送ってきたんだね」とか、言われる危険から、完全に彼らを守っている。
 彼らは自己の作品に対して責任を持っていないのだ。文学の専門家でない一般の知人から、「きちがいじみたこと考えてるんだね」と言われては困る。そんな状況は絶対に避けたい。「ああそうだ、これがおれの作品なんだ、おれの頭の中身だ」と返す覚悟がない。どこかの掲示板の罵詈雑言と同じで、書き捨てだ。

 こう考えてみると、太宰などのしていたことは、読み手がさらっと読む以上に、すさまじく勇気と覚悟のいることだということがわかる。あなただったら耐えられるだろうか、「おまえ、心中未遂なんてやってんの、女だけ死んで」「薬でぼろぼろだったの」なんて、無神経なやつに面と向かって言われるかもしれないのだ。

 芸術家なら、自分自身の十字架を背負って、やっていかなくてはならない。打ちのめされそうでも、昂然と顔を上げて。顔を背けるわけにはいかない。もし、幸運なことに背負う十字架がないのなら、それはそれなりの生き方があるだろう。

 こんな話がある。
 虐待を受けて育った子供がいた。それはまるでアウシュビッツのようだった。人生で一番最初に出会った人間、守ってくれるはずのものが、誰よりも真っ先に子供を攻撃した。なにをしても叩かれたし、なにをしなくても叩かれた。血が流れ、消えない傷跡が残った。虐待者の気分によってそのときどきの善悪が変わるので、子供は混乱して、どんな無茶苦茶な命令にも黙って服従するということをおぼえた。そうして毎日をおびえて過ごした。学業は優秀だったが、褒められたことは一度もなかった。友達と遊ぶことは許されず、ずっと家に閉じ込められていた。抱きしめてもらったことも、優しくされたこともないので、その子供は愛を知らない。常に否定されていたので、子供は、自分はクズで生きていてはいけないのだと信じていたし、交通事故で死んで慰謝料にでもなった方が、きっとみんな喜ぶに違いないとずっと信じていた。アウシュビッツは、金と神でいっぱいで、子供のいる余地はなかった。この子供を、救おう、あるいは、虐待者を止めよう、そう考える人間はただのひとりもいなかった。ただのひとりも。やがて、なんとか生き延びた子供は、芸術を志した。ぼろぼろになった子供に残されたものは他にはなにもなかった。かつての虐待者は言った。「よかったじゃないか、おかげで特殊な人間に成長して、それを題材に表現ができるんだから」そうかもしれない。だがそんなことが言えるのはいったいどんな人間なのか。
 福島の人たちは、苦難にあって、いつか、素敵な立派な人間に成長するかもしれない。苦しんで苦しんで、なんとか乗り越えた人は、苦しみの少ない人より、ずっと深く成長するものだ。しかしだからといって、あなたのために必要な苦難だったなどと言えるのはいったいどこのどいつなのか。あなたが人より重い試練に耐えられるから、わたしはあなたにより大きな試練を与えたのだ。そんなことは神にだって言わせはしない。

 過去のことじゃないか、忘れなさい。そんな言葉を、よく聞く。肉体の傷は癒えても、記憶は癒えない場合がある。深い傷跡が、人生全体を重く覆い尽くしてしまう場合がある。

 生活の話もした。
 ご多分にもれず、自由と引き替えに低収入になることや、どこそこの社員だといったような社会的な後ろ盾を失うのが、おそろしくておそろしくて仕方がないらしい。しかし、芸術家にとって、自由は必須だ。執筆のための時間に限らず、感じ考えること、学ぶこと、心身の修養はいくらでもある。それだというのに、まず生活があって、それの許す範囲内で、独自の活動があるのだという。なぜか、その逆ではないらしい。もし、自分自身の活動に真摯に向き合っているなら、この順序が逆になることは十分にありそうなことだ。そのうち、このくらいなければ生きていけない、という数字まで上がっていってしまって、それでも足りないと信じている人も少なくない。

 思想の自由というのがある。信仰の自由というのもある。頭のなかで、心のなかで、異常な思想を信奉するぶんには構わない。しかしその思想に従って、人々を皆殺しにしたりしてはいけないという。これは、実は、自由などではない。考えていることと、行為は、一致しなくてはならない。なぜなら、人間はいくらでも嘘がつけるからだ。
 これと同じことが日常生活にも言える。生活のために妥協して、行為の上ではやりたくもないことをやっているが、常に肌身離さない思想というのがあるんだ。みんなそう言う。しかし、そうこうしているうちに、肌で、生身で、日々行っている活動こそがその人の本音になっていって、頭のなかだけの思想は、ただの屁理屈になってしまう。このことに、本人は気づかない。

 手紙の最後の方で、意識の高低についてふれた。意識が高い、低い、最近よく聞く言葉だが、よくわからない言葉だ。要するに具体的にどういうことなのか。限りなく感覚的で、自己啓発本などを読んでなるほどと思うが、肌でわからない。きっとわからないだろう。

 それで、この文章。

2013年7月29日月曜日

鉄の月 / BJC



i wanna go to battlefield
with my girl's photo in my leather wallet
with tattoos on my arm
to kill somebody i don't know who and where from
i won't be hesitate

stepping on leaves, aiming a gun
shooting it out at deep woods
killing spree day after day

you couldn't believe a story like this
it's been unchanged since my childhood
of course i wish everybody be happy though
we've grown too many

what do i think under heavy gun fire?
what do i feel when i hear somebody's cry?

***

Could this be an anti war song?
Or only sick of overpopulation (esp. in Japan) ?
For me, both. :)

2013年7月26日金曜日

ずっと変わらないほんらいのしごと


これも八しゅるいほど変わった食べるためのしごと、ずっと変わらないほんらいのしごと、・・・

***

ぜんぜんかんけいないべつのおはなし。

創造することと日常を生きるのは別のことと思っていると、
その人の人生の薄っぺらさ、
魂の薄っぺらさは、
作品に表れます。

適当に買い換えたスマホの、レアアースがどっかの奴隷を殺すように、
コンビニでもらったレジ袋が、どっかの海の果てで島をつくるように、
すべてはつながっています。
人生は総体で、部分に切り離すことはできず、
作家である前にひとつの独立した、
孤立した、
人間存在なのだから、

生きようそのものを美しく。

2013年6月26日水曜日

わたしなりの堕落論

 過日、読書会というのがあった。安吾の『堕落論』。一読して、さすがの文章だとは思ったものの、ぴんとこなかった。拾い読みなどをして、それでも釈然としない。わたしが共感したのは、むしろほとんど関係のない、次のような文章ですらあった。

 戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。

 破滅の美学。混沌ゆえの開放感。まったく本当に違いない。
 それはともかく、読書会の後の討論でわたしは問うた。
「堕落するというのは、堕落していない状態を前提としていると思うのだが、堕落する前の状態というのはいったいなにを指して言うのか」
 ある人は、原文を指して、若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となると書いてあるのだから、そういうことだと言う。とすると、徴兵されている状態が堕落していない状態なのだろうか。しかしその前は? それに、戦争に行かなかった人たちは?
 また、戦後の限定的な世情を対象にしているこの作に対し、「現代の堕落とは」と問うた。
 ある人は、ニートなど仕事をしていない状態がそのひとつではないかと言う。しかし、それほど単純なものだろうか。働けない人、働きたくない人は本当に堕落しているのだろうか。あるいは、堕落の定義に情状酌量があるのだろうか。
 わたしが求めていたのは、もう少しばかり本質的な考察だった。にあげた例はどれも、安吾の言葉を借りて言えば、上皮だけのものに思える。
 堕落。
 言葉それ自体がなにか宗教的なにおいがするということはいても、これはもう少し内的なことではないだろうか。単に落ちぶれるという以上のものがある。その人の魂や精神、存在そのものを指して言うもののように聞こえる。
 堕落を論ずるなら、当然、堕落していない状態の考察が必要だろう。いったい、なにが堕落で、なにがそうでないのか。
 ところが、ここに問題がある。まず、ありとあらゆる宗教が違うことを言っている。いわく、性的なことはだめだ、いや、そのくらいはいいんだ。現代社会でさえ、文化によって、地域によって、言っていることが違う。大麻は大丈夫だ、いや、だめだ。人を殺してはいけない、でも、死刑はいい、それどころか、戦争のときにはむしろ積極的に殺せ。いったい、なにを信じて、堕落とそうでないものを区別をすればいいというのか。
 昔は信仰という生きるよすががあった。しかしいまはなにもない。国家はいつ裏切るかわからない、国家は信じるに値しない。戦後の日本人は誰もがよくわかっている。それどころか、無思想な現代においては、すべての価値観は相対的なのだ。ある人は金金と言って生きる、ある人はのんびり生きる、ある人は奴隷のようになりたがるし、ある人は自由を求める。そこにはもはや堕落もなにもない。
 なにもかもが相対化されたとき、生業や、合法か非合法かなどということは問題だろうか。この国では殺人は罪だが、死刑や自衛隊が海外で暴れることは罪でないのだ。であれば、特攻隊になろうが、闇屋になろうが、勤労しようが、家でごろごろしていようが、しょせんは相対的な価値観にすぎないのではないか。
 時代だ。それは時代が決めることだ。そうなのかもしれない。しかしながら、時代や社会によって変わってくる相対的な倫理とはなんだろうか。誰か偉い人がそう言えばそうなのだろうか。みんながひとつの方向に流れていくならそうなのだろうか。
 ちょっと前に賛美されていた消費生活はそろそろ非難されつつある。いまよしとされていることも、未来にはだめとされるかもしれない。このように、堕落の是非は変化する。しかしそうではなくて、時間や空間に左右されない、人間存在そのものとしてのありようこそが問われているのではないだろうか。
 そもそも堕落はあるのか。本質を問うなら、まずここが問題だ。そんなものはないと言えば、非常に自由で、アナーキーで、好きな考え方ではある。
 強いて、ひとつ考えた。
 思考を停止すること。
 人は、問い考える。問い考えることがなければ、動物と同じで、文明もなにもそもそもないのだ。ところが思春期を脱して年齢を重ねると、「まあそういうもんだ」と言いはじめる。そうして自分では考えなくなる。どこかで聞いた誰かの見解を信じ込んで、それが自分の考えだと勘違いしてしまう。社会っていうのはこういうものなんだ。常識っていうのはこうなんだ。
 しかし、このなにもかもが相対化されてしまった世界で、人間に残された最後の砦は、それでも問い考えることではないだろうか。最終的にどこへもたどりかなくても、問い考え続けるその過程にこそ意義はあるのかもしれない。
 鵜呑みはつまらない。他人に従って流されるのはつまらない。自分の主人は自分だけなのだ。もし、考えないで流されてしまうなら、それが堕落なのだろう。あの戦争だって、結局はそういうことだったのだから。

りゅう、せい

弟に

 両親の次に付き合いが長いのは弟だ。どんな親友よりも長い。どんな恋人よりも長い。
 色々なことがあった。殴り合いもあったし、殺すの殺さないのということさえあった。お互い年をとって大人になって、しかし腹を割って話したことはなかったように思う。弟は昔から家に居つかなかったし、ぼくはぼくで弟にはなにも期待していなかった。人種が違いすぎて、話し相手になると思っていなかったのだ。その上弟は数年前に家を出てしまっていた。疎遠になって久しかった。
 去年の夏のことだが、朝目覚めると人の侵入した形跡があって、弟が客間で寝ていた。なんでも、地元の友達と飲んでそのまま実家を寝床として利用したのだという。ぼくは実家でひとり暮らしをしていたのだ。その日は休みだというから、それでは夕食がてら飲もうということになり、男二人で買い出しに行くと色々そろえて帰ってきた。出来合いの天ぷらだの刺身だのを食べる。自炊の身にはごちそうだ。一緒に買ってきたしそ焼酎を飲みながら音楽をかける。自然と話題は音楽のことになる。
 そもそも弟が音楽をはじめたのはぼくの影響だった。中学生の頃にまずぼくがエレキギターをはじめ、それから弟に教えてやった。下手なギターをアンプにつなぎもせず合わせたりしていたものだ。一緒にバンドをやっていた時期もある。自宅で轟音を出していたら隣家から苦情がきたこともあった。そのうち音楽の才能に見切りをつけたぼくはいつしかやめてしまっていた。ぼくには他に文学というのがあった。
 弟はずっと音楽を続けていた。バンドを組み、音源を自主制作し、地方へ遠征などへも行っていた。そうしていまは一人でやっているのだという。
 畑こそ違うが、ぼく自身もずっと文学をやっている。創作をすること、なぜ、なんのために、などという話になる。ぼくはここ数年行き詰まっていた。
「芸術至上主義だよ。この物質社会で、金や物だけがすべてなんてつまらない」
 こんな発言を青いと取るかどうかは人それぞれだろう。ぼくは弟がこんな立派なことを言えるようになったのかと驚いた。ただ楽しいからとか、それで喰っていきたいからとか、そんな理由でやっていると思っていたのだ。
 創作活動をすることと、生活、生きることは密接に関わってくる。人は食べなくてはならないし、与えられている時間も体力も大差ないのだから。
 創作に時間を割くということは他のなにかを捨てることだ。たとえば毎日八何時間かそれ以上も働いていたら他の活動はほとんどできないだろう。特に創造的なことは心身のゆとりをも必要とする。忙殺されるわけにはいかない。当然、ライフスタイルや人生そのものの選択肢は狭まってくる。
 どう生きるのか、どう世間と妥協するのか、どういう精神を持てばいいのか。
 ぼく自身はといえば行き詰まって長かった。文学では喰えなかったし、かといって仕事もうまくいかなかった。なにかしらがだめになってしまうのだ。不本意な労働からなにかを得ている気がまったくしない。権威的だったり自分勝手な上司とはすぐ喧嘩になった。不眠症になったり、心身ともにぼろぼろになったりしていた。しかしそれでも、人並みに生きなくてはならないのじゃないか、そんな社会通念やら強迫観念に悩まされていた。その点、弟はもっとずっと自由だった。
 そもそもぼくは生まれつき繊弱で、気の滅入る質だった。鬱だと診断されたこともある。物心ついた頃からほとんど常に死んでしまいたかった。
 そんな話も少しした。
 焼酎を一本全部あけてしまい、飲み足りないので、弟が近所の酒屋まで走って芋焼酎を一本買ってきてくれた。そのときはすでに酔っていたせいかうまいと思って飲んだが、その後は芋は飲める気がしない。
 その日のうちに帰りたいというので弟は帰ってしまい、ぼくはひとり残りの焼酎を飲み続け、ついには全部あけてしまった。それを悪酔いというのか知らないが、飲んで飲んで死んでしまいたいという気になることがあって、そんなつもりで飲んでいた。
 そのあとひどく吐いて、一晩中苦しみにのたうちまわった。
 昨年はそれきりになったが、正月以降何回か会う機会があり、そのたびに飲みかつ話した。ぼくの方から弟の部屋へ押しかけていったこともあった。弟の自由な精神に感化されたかったし、ぼくはといえば孤独で寂しがりだった。
 いつだったか、ぼくは手首を見せて、傷が気になって嫌なんだと言ったことがある。縫い跡の残る醜いものだ。それはぼくにとっては重大な告白だった。
 それから自殺の話になり、弟の知人の音楽家にも自殺をしたものが何人かいるという。「考えすぎちゃうんだろうね。自殺は悲しいよ」そう言って二人で泣いたのを憶えている。
 盆休みに両親のいる土地へ一緒に行こうという話になり、実に数年ぶりに家族全員がそろった。観光をほんの少し、あとは毎日だらだらと過ごした。ほとんど毎晩飲んだ。弟のいる生活というのは妙に新鮮だった。
 ある夜星がきれいだというのでみんなで外へ出た。標高のかなりある山奥だ。真っ暗な道路を歩きながら空を見上げると満天の星だった。首都圏の空はこんなではない。星屑まで見えた。天の川のような星雲まで見えるようだった。
 さっき流れ星を見たと弟が言う。また見えないかと探しているのだった。
 流れ星は努力だけでは発見できない。天空のすべてを360度一望できるわけもなく、常に死角がある。右手の空を探しているときに左手の空を流れ落ちていくかもしれない。前方ではなく背後かもしれない。そうして誰かが「あっ!」と言ったときにはもう消えている。流れ星こそまさに運を象徴しているように思えた。
 弟が三つ見たと言ったときにもぼくは相変わらずゼロだった。ぼくは意気消沈して、目の錯覚なんじゃないかとまで言い出す始末だった。
 劣等感とも少し違うが、ぼくには弟をうらやましく思う気持ちがずっとある。同じ血と同じ肉。しかしながら弟は明るく前向きで、ぼくはといえば鬱気味の悲観的な人間だ。流れ星にさえその差異が端的に表れている。流れ星の発見率というのはなにかを暗示しているように思われて、ぼくは深刻に絶望しかけていた。
 さあそろそろ帰ろうという段になってもぼくはまだ諦めずに探し続けていた。
 ふっと、飛行機でも墜落していくような光芒が弧を描いた。それは星々よりずっと大きく、明るく、電球のような黄色みを帯びた光だった。隕石が燃えているのだ。ほんの一瞬だが、尾を引いて。願い事を三回というのは無理な注文だ。しかし目の錯覚ではあり得なかった。それは確かに流れ星だった。
「きっといいことあるよ」そう弟は言ってくれた。
 帰宅し、その夜はだいぶ飲んだ。
 しかし、話題は悪い方へ流れてゆき、ひどいことばかりあった過去の話になる。本当にひどかったのだ。散々だった。
 どんどん気が滅入っていく。そうしてついには、いまだに死にたいという気持ちが消えない、こんな自分はどうしたらいいのか、などと言い出すに及んだ。ぼくの希死念慮は時期によって変動があるのだが、その時期は女のことがあって特によくないのだった。
 そういった感覚をまったく理解できない弟は、「そんなのばかだ」といったようなことを繰り返した。
 ぼく自身うまく説明できないのだが、それは、お腹が減ったとか、疲れたとか、そういう感じなのだとしか言いようがない。事実それはある「感じ」なのだ。理屈ではない。ふっとそうなるのだ。ふっ、と。
 生きていて楽しくないとか、希望が持てないとか、絶望しているとか、言い様は色々あるだろう。しかし、厳密にはそういうことですらないのだ。それは心の穴に巣くっていて、時と場所を選ばず突然現れる。どんなに楽しいことをしている瞬間にすらふっと醒めるのだ。子供の頃から慣れっこで、こんな風に心が動くのがぼくにとっては普通で当たり前のことだった。
「なんだか悲しくなっちゃった」そう言って席を外すと、戻ってきてから弟は涙をぬぐった。それを見てぼくも泣いた。

 誰か泣いてくれる人がいるのなら、弟があんな風に泣いてくれるのなら、死ぬわけにはいかない、生きる他ない、最近はそんな風に思う。言い聞かせている。
 こんなことはもっとずっと昔に学ぶことなのかもしれない。ぼくにはその機会がなかった。
 人々の心には穴なんてあいていなくて、そこは、大切な人の姿で埋まっているのかもしれない。泣いてくれるに違いない人。
 この穴を、ぼくは埋めることができそうにない。しかし、それでも、死ぬわけにはいかない、生きる他ない。弟とあの夜の流星を思い浮かべながら。

2013年4月14日日曜日

ふつう

 ジャズダンスというのがある。ここのところ夢中になっていて、いつものごとく女性陣に対して男性はぼくひとりだけなのだが、あまり気にならなくなってきていた。そんなことを気にしていたらなにもできないだろう。とはいえ、目立たないように後ろのすみの方に控えている。これもいつものことだ。
 その日の練習というのが、流している同じ曲に対して、同時に踊りはじめ、Aというパートを踊る人と、Bというパートを踊る人とに別れる、というものだった。それぞれのパートが終わった人は、それぞれパートを入れ替えてさらに踊る。つまり、周囲に見えている人たちと違う動きをしなくてはならない。他の人の動きに惑わされてはいけないのだ。人真似で動くのではなく、自分で把握した、自分の動きを、というのがこの練習の眼目なのだろう。
 振りそのものは、以前にやったものを二種類組み合わせただけのものだったが、最近は物覚えが悪く、しかもすぐに忘れてしまう。必死にやっていて、二回、それなりにはできたように思う。
 ところが、あろうことか、先生に名指しで褒められた。別に、ぼくがうまいわけではない。それは確かだ。ぼくが一番初心者でへたなものだから、励ましてやろうと思ったのかもしれない。とにかく、このあたりから崩れはじめた。集中力が切れた、と言えば聞こえはいいかもしれない。
 踊る。踊る。人の姿が目に入る。一瞬で三人くらい視認することができる。あれ、ぼくと同じパートを踊っている人が一人もいない。三人のうち一人くらいは同じパートのはずなのに。この認識に至るまでほんの一瞬だ。そして途端にだめになる。振りが飛んでしまう。
 あとあと、考える。原因はすぐにわかる。簡単なことだ。「人と同じでないとだめだ」と思うのだ、「人と違っていてはだめだ」と。
 それは意識ではなく、無意識の奥の奥、底の底にこびりついていて、瞬間、本能のようにぶわっとあふれ出る。
 人と違っているのは恥ずかしいことで、人と同じでなくては。
 ふつう。
 この強迫観念が、血によるものなのか、環境によるものなのか、あるいは、もっと民族的なものなのか、わからない。ただ、こういった感覚を抱くのは別にぼくが特殊だからではなくて、むしろ非常に日本人的なのではないだろうか。
 これは呪いのようだ。この強迫観念のせいで、いままでいったいどれほど悩み苦しんだことか。
 とはいえ、よくよく考えてみるまでもなく、ぼくは奇妙な生き方をしているし、平日の昼間からふらふらと女性に混ざって踊ったり、いまさらだ。変でいいじゃないか。人と同じなんてつまらない。気にするなよ。これらはみんな意識で思うことで、ほとんどねじ伏せるように、言い聞かせていることだ。反面、普通がいい、人並みに生きて、人並みに死にたい、そんな風に思っているのが本音ですらあるのだ。
 ダンスで失敗をして、ぼくだけ動きが止まる。ああ、と辺りを見回す。あ、よかった、他にも止まっている人がいる。ぼくだけじゃない。そうしてとどめを刺すように、
「このままじゃ帰って眠れないだろうから、足立くんのために、もう一回だけやりましょう」
 もちろんうまくいくわけがない。
 いろいろと考えられる。脳の脆弱性、ストレス耐性の低さ、どれも当てはまると思う。それ以前に、動揺するのだ。精神的に弱いのだ。
 すべて終わって、悔しくて悔しくて仕方がない。失敗も失敗だが、恥も恥だが、なんという繊弱さだろう。なんという脆さ。
 そうして、道すがら振りを復習したりしつつも、考え続ける。考えて考えて、自責して自責して、しかし、いまではむしろよかったとすら思うのだ。失敗してよかった。失敗しなければ、この洞察はなかった。その上、作品として昇華することができる。文学は自己凝視だ。内向する力だ。自分自身のなかに飛び込んで、暗黒のなか、どこまで深く潜っていけるのか。こういうことでもなければ作品は生まれない。この機を逃すようではもはや終わりである。


 失敗体験を引きずって、凝視して、書くのはつらいものだ。逃げたい、苦しい苦しいと思いながらそれでも書いた。作家生命がかかっていると思った。
 とはいえ、失敗と悔恨からしか洞察は得られないのだとしたら

 失敗と悔恨からしか作品は生まれないのだとしたら
 人生は失敗するためにあるのだとしたら

2013年4月8日月曜日

Aoharu Youth / Supercar


No reason why is no reason why is reason of youth
Just like search lights

To
Further away

***

むちゃくちゃな訳詞です。
が、もともとの日本語もむちゃくちゃです。
言葉の響きだけを重視して、意味を無視すると、こうなるんだね。
音楽性の低い日本語において、こういうあり方は本当にありだと思う。

Sorry about this broken translation but Japanese original lyric is also broken. :)

2013年1月9日水曜日

理想主義者であること

 政治の話題というのはタブーのひとつである。正しい答えなどないし、それでいて頑固な主張をみな持っている。感情的になる。仲よしの間さえ引き裂きかねない禁忌だ、これは。
 家族と酒を飲んでいて、なぜだか、戦争の話になった。右とか左とか、九条の話から流れたのかも知れない。近頃の日本は右傾していると海外は見ているらしい。
「戦争はなくならないよ」と弟。唖然とする。
「だから仕方ないってこと?」
「それが人間なんだよ」生悪説か。
「戦争の悲惨さを知らない世代がそんなことは言えないだろう。福島よりずっとひどいんだ」
「それじゃ具体的にどうするの」
 言葉に窮する。所詮自分は論客ではない。ただの理想主義者だ。しかも実行力の伴わない方のやつである。弟は現実主義者に見える。ああ、うまくいかないなと思ったら、現実に即して妥協することができる。より楽に生きられるように、意地を張って苦しまないように。
「大事なのは、戦争がなくなるかどうかじゃなくて、なくしたいと思ってるかどうか、そこなんじゃないか」
 弁の立たない自分にしては最善の回答だったのではないか。精神論だ。しかし、いま重要なのは、どんな世の中にしたいか、まずそこの意識なのではないか。震災が起こって、資本主義はとっくに行き詰まっているし、いままでのやり方ではうまくいかない、新規まき直しの時代。少なくとも自分にはそう見える。そんなときに問われるのは、どんな世の中にしたいか。
 弟とは、ある程度似ているが、圧倒的な断絶に気づいた気がする。現実主義と理想主義。自分なんぞは、白昼夢のような理想を追い続けて、そうして理想のために死んでしまうんだろう。自分が自分であることの、限界のひとつである。こればかりはどうしようもない。
 さてそれから、意識的にそういった話題は避けて、飲み続けたのだった。弟はつぶれた。