ページ

2012年8月6日月曜日

エッセイストらしく (追伸:たまに泣きます)

常にそうしているわけではないからあまり偉そうなことは言えないが、頭を使う作業をしている人は、作業前に2時間ほど運動ができるといいかもしれない。
散歩というか速歩をしているときは脳に血が行くのか、活性化していろいろな文章が頭に浮かぶ。(帰宅すると別にどうでもいいやという気にはなる)
水泳も同じ。ただしそれをしながら考えることはもちろんできない。
限界近くまでやるとアドレナリンが出る。
いままさにその状態でこれを書いている。(ただし自分自身の浮沈の激しい気質と間違いなく関係があるので、運動による効果はあまり当てにならない)

***

口語を減らしてみよう。
エッセイスト(ではないが)らしく書かなくてはとずっと思っていた。
ただ、現代的なエッセイというものがもしあるなら、むしろWEB的な口語なんだろうという気がする。
かたい文章は、読み慣れている人にはいいが、活字離れ世代にはどうだろうと思う。

***

たぶん自分はほとんど常に酸欠なんだろう。
呼吸に問題があるという気がする。姿勢とか骨格かもしれない。
脳に酸素が足りていない。
で、普段は33%くらいの稼働率で、ぼんやり省エネしている。よく言えばエコだ。
自分を知っている人は「あああいつぼんやりしてるな」とわかっているはず。
水泳なんかをやると、ものすごく吐いてものすごく吸う。
普段やらない呼吸法。
で、やっと脳の稼働率が66%くらいになる。(残りはなんだか知らないが)

***

まさにこういうときに作品を書くべきなんだろう。
ここ数年の問題点。
表現したいことがない。
なにかしら書きたいという気持ちが(いまのように)あればいいが、それもない。
いわゆるネタはずいぶんたくさんあるような気がする。
自主的にやりたいことがなくなったときに、他にあり得る動機としては、対象を絞る。
「この人のために書いてみようかな」というのはひとつの動機だ。
それで最も身近な弟に(ひっそり)取材に行ったわけだが、「暗い作品が好き」と言われたのではいままでやってきたことと変わらない。
そもそも、弟のように影のない人物は表現の対象にはほとんどなり得ない。
オフィーリアは、発狂して溺死したからあの絵になったのであって。

***

いいぞ・・・
普段ろくでもないことばかり書いているから、「あいつはばかだ」と思われているかもしれないが、こういう風に書くとまるでお利口さんのようじゃないか。
・・・こういう文脈の流れがすでにベケットのようで、結局、創作とエッセイ(日記)、虚構と現実の曖昧さのようなところが、相変わらず自分にとっては自然な表現に思える。
切れ切れに綴っていくところも。

***

ブログでなくてなにか短い作品でも考えるべきだった・・・
・・・かたい文章を好む人というのは、どのくらいいるものか。(逆に、あいつの口語は好きじゃないということはむしろあるかもしれないが)
「である」調でないだけこれでもまだやわらかい。
自分は「である」調は嫌いなので基本的に使わないが。

***

落ちないな。

「最近はずいぶんいろいろと努力している気がします。
頑張っている気がします。
ギターは弾いていません。弦が切れているので。
ちょうどぼくらの関係のように。
踊ることを覚えました。舞踊家になりたいというのが最近の夢です。
昔は海賊か殺し屋になりたかった。
ずいぶん大人になるまでそんな風に思っていたんです。
しかも本気で。
そちらは暑いと聞きます。ご自愛ください。
ぼくなら大丈夫。微妙に元気です。微妙に。
ちゃんと生きていますよ。きっとまた明日も生きているでしょう。もしかしたら来年も。
それでは、さようなら。

追伸
たまに泣きます」