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2011年5月29日日曜日

批評ついで文章論

一昨年くらいからずっと考えていたこと、というのがあって。

それは作風、書くという行為の方向性のことだけど、名称を見付けた。

オートフィクション

この概念を先に知っていたわけではなくて、たまたま、同じことを考える人がいるんだなぁ、と。

これは『蛇尾』以降でやっている、自分では日記だと認識している。(ただ、最近はまた方向性というのを見失っている)

そんな具合で、海外の人間が考え出したりすることに共感できる他方、現代邦人がやっていたりすることにはまったく共感できなかったりする。

某A賞受賞作(結構有名な人で他の作品が映画とかにもなっている)というのを読んだ。ひどい。

素人の文章で、しかも個性がない。

凡人であるということはともかく、言語表現に対する理解が浅すぎる。

改行が多いというのが最近の一般的傾向のようだが、時間軸がでこぼこして逆に読みにくいし不自然。

一人称でしかできない表現のためにそうしたのでなく、なんとなく便宜的にそうしたようだ、つまり、一人称が死んでいる。

しかしながら一人称は便宜ではない、ちゃんと表現上の目的がなくては。

取って付けたような比喩。全然合っていないし美しくもない。

単に小ネタの集積であって、最終的になにが言いたいの? という、典型的な空疎なもの。

日本にはこの手の空疎なものが多い。その空疎さこそが文学だという誤解が横行しているらしい。

結局、いい点はひとつたりとも見付けられなかった。

ところで、比喩は思うにセンスで、センスがないなら使わなければいい。

自分はセンスがないので使わない。

そういう意味ではカポーティは巧い。

『草の竪琴』(カポーティ)

冒険ものというくくりだろうか。

マーク・トゥウェインとかに近いんじゃないのと思ったけど違うかもしれない。

普通に現代でもきっと受けるだろうという面白さ。

簡潔で比喩表現が巧い。

2011年5月6日金曜日

打ち震えること

あんまりにも退屈なものだから。

ときたまにTVを観る。

自分は菜食主義者なものだから、食中毒の話を聞いても、どちらかといえば胸が悪くなる。

別に食わなくてもいいんじゃないのって風に思う。

それに関してはトルストイの発言がいい。

言語のこと。

英語を読むのだけど、別に美しくない文章が美しく見える。

それというのは、自分のなかで勝手に美しいものに変換するから。

想像力の果たしている役割が過剰に大きいということ。

それを翻訳でやるとしかし自分にはできない、醜くなってしまう。

最近は涙腺が弱い。

『幸福な王子』を読んで泣いたというのと、友人の作品を再読して泣いた。

作品の私的な価値というのを最近は考えていて、会ったこともない大文豪の作品と、肉声を知っている人間のそれは全然違う。

とにかく非常に悲しい。

でも、泣けるのは結構な才能だなとも考えた。

ロダンだったか、芸術とは、打ち震えること。To tremble.

あとは、前回に書いた知人の音楽を持っていて、それもまた全然違う。

音楽に関しては、その人をそばに感じ、励まされるように感じる。

現代日本の思想背景の虚無について書いた本を読んで。

結局、戦後の我々に深く刻印された虚無があるのだという。

そんなところかなとも思うけど、自覚や意識のないところで、そういったある雰囲気? 空気のようなもの? 別にそう教育されたわけでもないのに、自分の痛感している虚無が、社会全体の底流をなしているのだとしたら、おそろしいことだと感じる。

おそろしいというのは、虚無そのもののことではなくて、自分の根が社会に左右されているのだということ。

Simon & Garfunkelを聴きながら書いた。なんか突然聴こうと思った。

いつでもどこでも歌を歌いながら生きていったらきっと素敵だろうと思ったから。

2011年5月4日水曜日

実践ということ

最近は、というか、去年から、日記をつけている。手筆。

書く癖、というのは、身についてきた。

やらなくてはいけないことをメモにしてそこらに放りだし、できたら丸をつける。

あるいは、抑鬱のときは、その日できたことを。

……もう面倒になってきてしまった。

昨日、知り合いのご夫妻に招かれ飲んできて、文学だのなんだの話し。

というのは、彼はずっと音楽をやっていて、彼女はずっと絵を描いていて。

人称とか代名詞とか面倒なのでもう適当に書きます。

変換も面倒なんだけど。

「どんなゴミでも、書かなきゃ損だよ、書けるんだから、書かないのは罪だよ」

「そんなこと言ったってねぇ」

「ですよねぇ」

みたいな会話を。

そんなわけで、いまこの文章を書いてる。

でも、ブログはだめだな、見せることが前提だから。

「続けるなんて、若い頃はただずっとやってるだけでしょ? って思ってたけど、できないよ、みんなやめてく、続かないよ」

記憶力がひどい、継続の話をして。

会話文はいい感じ。

正直、文章表現が上達したとして、だからなんなの? というのがここ数年の心境ではあるんだけど…… 日々が平安ならそれでいいやと思う。

頭も尻尾もない文章になってしまった。