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2010年5月31日月曜日

欧米の独自出版事情

欧米の出版事情というのを調べていて見付けた、独自出版の情報交換サイト。

Publetariat

商業主義社会の事情は、どこも同じらしい。

主流である、「売れそうな」作品しか世に出ない。

それは違うだろうと考える著者たちが情報を収集したり意見を交わしている。

やはり、独自出版の基本はeBook(電子書籍)で、記事によると、iPadなど、いくつかの媒体で手数料無料の独自出版は可能らしい。

現時点では、Smashwordsが完全に無料、Amazonは無料だがデータ変換ソフトが有償、その他にもいくつかある。

Smashwordsを少し見てみたが、ここは、インディー(アマチュア)作家専門の代理店のようだ。各作品の価格は著者が設定しているものと思われ、ばらつきがある。無料のものもある。対応媒体は、iPad(Apple)、Kindle(Amazon)、eReader(Sony)など。

大抵の場合日本はなんでも遅れているが、10年くらい待てば似たような業者やサービスは現れるかもしれない。

しかし、日本のこういった非個人主義的、非芸術的気質が嫌なら、自分自身で翻訳をするとか、あるいは英語の達者な文学理解者の協力を得るとか、いろいろと方法はある。

どちらにせよ、日本は芸術という観点ではだめな土地柄だと個人的には思う。

自分自身、英訳をすることは可能だが、直訳程度で、現地の中学生が書いたような文章になってしまうだろう。

それでもやらないよりはいいかもしれない。

たとえば、直訳程度でもいい、というなら、ぼくが仲間の作品を翻訳する、ということもできるかもしれない。

インターネットや電子媒体は、現代の芸術家の特権なので、駆使しないのはもったいない。紙媒体に固執しているのは、時代を逆行することだし、贅沢なことでもある。紙は貴重品だ。現代はアナログからデジタルへ、媒体や流通手段の過渡期でもあると思われるので、そう若くもない世代が適応に四苦八苦するのはやむをえないが。しかし、このことは、過去に埋もれてしまった文学者たちには与えられなかった可能性だ。

たとえ誰も作品を買わないとしても、自費負担なく自作を出版できる、しかも無料公開などではなく、電子出版元として、というのはものすごいことだ、と、ぼくは思う。印刷技術というのは革新だったわけだが、それに次ぐものだ。あとは、文学が常に抱える、言語の問題だけだ。

2010年5月13日木曜日

文学者の実践的生活は可能か

前回の話題を受けて。

在野の文学者は、卑屈に過ぎた。

優れた作品を投げ捨てるように無料で公開している。

デジタル流通が普及して以来、インディーのゲーム開発者、アマチュアの音楽家、でさえ、ウェブ上で作品を販売することができる。

売れるか売れないかはここでは問題ではない。

要するに、プロとかアマとかいうわけのわからない線引き、というのがある程度曖昧になった。

ところで、アナログの住人である文学者はすっかり置き去りを喰らっている。

価値の判断は主観だ、たとえ人気作でも、僕にはつまらないかもしれない、無名の作品でも、僕は評価するかもしれない。

だから、有名受賞作家の作品であるか、無名の素人の作品であるか、というのは、作品の質を問う場合問題にならない。

それでは、インディーのゲーム開発者、アマチュアの音楽家、などがやっているようなことが、在野の文学者に可能か? と問うたとき、残念ながら、答えは否だろう。

理由はいくつか。

1. ウェブを多用するような人間はほとんどの場合文学に関心がない

2. 文学に関心があるような人間はアナログ媒体すなわち書籍を好む

3. 文学そのものの需要が非常に低い

たとえば、文学作品のダウンロード販売などというのは非常に非現実的だ。

せいぜい、「自作を良いと思われましたら任意の額の寄付をお願いいたします」という程度だろう。

アフィリエイトというのは本質的に全然違う話で、広告会社のおこぼれを頂戴するに過ぎない。

たとえ馬鹿にされようが、そこにあるのは確かに作品なのだ……

自分の文学がまだまだである、という厳しい自意識ゆえに在野の文学者たちは卑屈なのであって、受賞歴がないからとか、職業作家に劣るからとか、そういうのでは全然ない。

それでは、在野の文学者になにができるのか? 少なくとも、大前提は、高踏文学の需要をもう少しばかり拡大することだろう。

あるいは、まったく不毛であろう高踏文学の普及など諦め、少数の文学愛好家のみを対象にする、しかしこれは、先に書いたようにデジタル媒体には限界があり、といって赤字にしかならない自費出版などは論外、八方塞がりに思える。

100人か1,000人くらいの文学愛好家が知り合いの範囲内にいるのであれば、最低品質の印刷物を安く配布するとか、可能性は皆無ではないのかもしれないが。

「文学は死んだ」と僕が言ったとき、ある人は、「文壇復興」だと言った。

具体的なことを…… 実践的なことを…… 最近は考える。

付記

現代のごみみたいな作品に絶望している人の話を聞き、彼は、僕の仲間の作品を激賞しているらしく、横の繋がりでもなんでも、そんな人物がそれなりの人数いれば、と、最後の案を連想した。

追記 5.14

デジタル流通を見限るのは早計に過ぎるかもしれない。

海外にはeBookと言って書籍のデジタル媒体があって、音楽のように素人が作品を販売できる。

国内にもそれに類するものはあったが、素人が販売することはできない。

もしやりたければ、自分でポータルサイトを立ち上げるのが一番いいように思われる。

2010年5月12日水曜日

芸術家の実践的生活

海外のゲームに関心があり、たまに情報収集をするのだが、たまたま、芸術家の実践的生活、というのに出くわした。

Jason Rohrer

彼は、創作のために生きている、ゆえに、単独で作品を開発し、「無料配布」の思想のため、開発が完全に終了した作品は無料化、技術はすべて無償提供、企業に所属したりはせず、他の仕事の片手間にやっているわけでもなく、当然儲からない。

奥さんと子供がふたり、年間130万程度で生活できる(米国)と言い、車は持たず、冷蔵庫はコンセントが繋がっていない、物欲的なものはほとんど買わず、中古品を買う、見た目が悪いなどで安くなっている食材を買い、家庭菜園も利用している。

実験的に環境保護の質素な暮らしをしていると言う。

開発を支援してくれる人からの寄付も募っている。

確かに生活資金は必要だが、生活のための人生じゃない、と言う。

生活に意義を与えるのは、創造性と、社会貢献だと言う。

「無料配布」と著作権に対する思想も理想的なものだが、ここでは割愛する。

娯楽性よりは、芸術性を意識した作品を開発しており、方向性としては、物語、言語的なので、文学との親和性は高い。

ゲームが芸術たりえるか? 自分はほとんど信じていない。

が、彼の思想と実践的生活は芸術家のそれではないだろうか。

このところそういったことを考えることが多かったので、ひどく感銘を受けた。