ページ

2010年3月29日月曜日

芸術の無意味性と生活からの分離

先日、友人と、文学の無意味性、また、文学を含む芸術全般の、生活や世界からの分離、ということを話した。

かつては、芸術、宗教、生活、というのは、結び付いていて、それが通常の世界のあり方だった。
神話文学や神話美術は同時に宗教であり、そして宗教は生活と密着していた。
いつからか、それら生活の内容は分裂し、細分化された。
その結果、総体的であった生活は、労働、娯楽、芸術、宗教、等の概念に分裂し、さらに、分裂後に孤立した芸術行為は、本来的な意味を失った。
というのは、芸術それそのものは独立しては生活たりえないので。
むしろ、生活に反してさえいて、なんの役にも立たないどころか、無駄でさえある・・・

改訂 2016

上の議論は、即物的すぎますね…
芸術の役割は時代によって変遷しているのだとは思います。
現代では、芸術に固有の「意味」「価値」「美」「精神性」そのものに価値があると考えています。
確かに、生活とか生存には役に立ちませんが…
しかし、現代ではずいぶんおざなりになっていますが、「高貴さ」「気高さ」「崇高さ」などのような精神性は教養(芸術)からしか得られないようです。
ありきたりな言葉でいうと、心の豊かさ。
生活、お金、世渡り、そんなことばかりだと、人間の質そのものが落ちていってしまうようです。
究極的には、芸術的な人間や創造的な人間は、ずっとましな社会をつくれると考えています。
そういう意味では、より深いレベルで実際に役立つともいえましょう。
人間存在そのものを洗練するという意味で、芸術は欠かせません。