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2010年12月23日木曜日

よくないこと

『死神とのインタビュー』(ノサック)

再読。

途中で投げたのでいくつか未再読。

いくつかは非常によい。特に表題作。

この作家のものはいろいろ読んだけれど、印象が薄い。

表現手段は結構独特だと思うが、翻訳のせいか、文章が淡白。

***

いつものことながら全然読書感想文になっていないなぁ。

最近は途中で投げ出す本が多いような……

マルケスの短編集を短いのだけ読み、(くだくだしい種類の書き手だ)、『宇宙戦争』は翻訳がひどいなぁと思いながら我慢して全部読み、『解放された世界』は解説は面白かったものの翻訳がひどく投げ出し、『トーノ・バンゲイ』の旧漢字使い(?)版を想像力で補いながら読書中。

翻訳関係の落ち度、ないし質は、お里が知れるというか、所詮は田舎の図書館で古い本が多いなぁとかなんとかそういうことなのかもしれない。

増えすぎるから、本を買う習慣をなくしてしまった。

よくないことだ。

2010年11月18日木曜日

朝に夕に

『バラバ』(ラーゲルクヴィスト)

よい。

古代っぽい物語形式、詩人の文体。

キリスト教に関心がない人にはつまらないかもしれない。

『伝奇集』(ボルヘス)

『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』『円環の廃墟』『ユダについての三つの解釈』あたりが特によい。

昔に別の短編を読んだときは普通の幻想だと思ったが、作家を勘違いしているかもしれない。

虚構を現実に、現実を虚構に、摩り替えてしまうような。

複雑な構成のものが多い。

どこが優れているのかわからないものもある。

「長大な作品を物するのは、数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である」

ほぼ、正鵠を射ているだろう。

長編の重みは、(虚構世界に浸る時間が)長い、というただそれ一点に尽きると思われる。(『城』の、いつまで経っても進展しない、にもかかわらずいつまで経っても終わらない、あの実感は好例)

2010年11月5日金曜日

家畜のような記録

いつかの週末につくったものども。





まーぼーなすどうふ、もしくは、まーぼーどうふなす。

ひき肉なし版。




カレー。

よくわからないハーブを適当に入れて失敗した。

肉なし版。

大量に茹でて冷凍しておいたパスタにかけた。

***

基本的に毎日、納豆、ヨーグルト、豆腐、卵ばかり食べていて、家畜のような食生活だと自認している。

2010年11月3日水曜日

要推敲 → 大幅削除

読書量が減りました。

疲弊しています。

『悪魔の涎・追い求める男』(コルタサル)

南米文学。

短編集。

ある時期から仏国で仏語で書いたと思われるので、欧州文学の匂いが強い。

シュルレアリスムからの影響が強いらしく、前期のものは幻想的、後期のものは前衛的でわかりにくい。

まやかしのリアリズム、つまり、理性で把握する世界、体系化された法則、絶対的客観の肯定、等々、それらを拒絶する立場に身を置く、という点において、自分と近い。

近代のまともな作家の特徴は、リアリズムの否定であるという気がする。

しかしながら、文学がこれ以上先へ進めるか? と考えるとき、自分は否定的で、やる気をなくします。

2010年8月27日金曜日

再読他 菜食とか たんぱく質とか

夏ばてしました。

菜食のせいでたんぱく質が不足し、痩せ弱りました。

豆類をやたら喰っています。

読書いろいろ。

『ガリヴァー旅行記』(スウィフト)

有名なのは第一章だけで、他は新鮮だった。

誰がなにを言おうと人は変わらないということらしい。

人間嫌いにはよい本。

(リンクが消えてしまって作品名不詳)

普通に面白い。

短編物語の力というのを感じさせられる。

短くまとめる、というのは、簡単に思われているかもしれないが、実はだらだらと長いのを書くのよりずっと難しい。

しかしながら、長編の方が優れている、という信仰が、日本だとか仏国では横行しているらしい。

英米では短編専用の雑誌だとかが歴史的にあるらしい。

『嘔吐』(サルトル)

友人が、『蛇尾』に似ていると言ったものだから、まったく忘れていたので、再読した。

主人公の孤独とある種の絶望は痛いほど共感するが、文章表現に関しては苦言を呈したいところが多い。

最近の作家と似て、どうでもいい描写が多い(最近の作家はもっとひどいが)。結果、やたら長く、途中で飽きる。重要なことは真ん中くらいまでで全部言われてくるので。

訳者のせいかもしれないが、哲学用語や哲学的考察がすぎる箇所がある。文学と哲学をごっちゃにする必要はなかろうと思う。

「実存」となっているところは、普通に存在と読んだ方が通りがいいと思う。(原文ではどちらも同じ単語らしい)

悪くはないが、なにかが足りない。余計な文章の多さが、鋭利で繊細な表現や衝撃を殺しているのかもしれない。いいところはいい。

最後に主人公の年齢が出てくるが、それが明かされるのが遅すぎる。初老の印象で読んでいた。

「わたし」がうだうだ愚痴をたれくだを巻く、という一人称語りという点は個人的な趣味としては好き。

***

最近は、あらかた読んでしまったのか、年齢のせいなのか、衝撃を受けるほどの作品には出会いません。

でも、なにか書きたいなぁという気持ちにはなりました。

友人に、群像劇と、思春期の人間のものを書いてくれと言われ、実験精神豊かな自分としてはやるのにやぶさかではないけれど、なかなか、残暑が終わるまでは、無理。

全然関係ないのを書くかもしれず、なんにも書かないかもしれず、1年にひとつ、今年はまだなにも書いていないから、秋期~冬期に書ければよい方かな。

とりあえず適当に頑張らずに生きてみます。豆に埋もれつつ。

2010年8月12日木曜日

ヨブ

『ガリヴァー旅行記』(スウィフト)を読んでいる。

スウィフトは、誕生日のたびにヨブ記3章を読んでいたらしい。

***

やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。

わたしの生まれた日は消え失せよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

(中略)

なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。

せめて、生まれてすぐ息絶えなかったのか。

(中略)

なぜ、労苦する者に光を賜り

悩み嘆く者を生かしておかれるのか。

彼らは死を待っているが、死は来ない。

地に埋もれた宝にもまさって

死を探し求めているのに。

(新共同訳より抜粋)

***

旧・外・新と、聖書は全部読んだが、新訳4福音書しか詳しくなかった。

要するに、厭世主義は、古くはヨブにまでさかのぼる。

毎日毎日、一瞬一瞬、常にヨブのことを考えていたら、多少は慰められるかもしれない。

2010年8月7日土曜日

再読的初読

有名すぎて知っているようで未読だったものをいくつか。

当時は文学にうんざりしていたので娯楽作品を選んだ。

『ジーキル博士とハイド氏』(スティーブンスン)

あまりいい印象は受けなかったのだが……

翻訳者だろうか? 後述『宝島』は素晴らしい。

あまりに有名すぎて、最初からネタが割れていたのもよくない。

(リンクが消えてしまって作品名不詳)

子供の頃に、『海底二十万海里』だとか、読んで楽しんだ、その思いを彷彿とさせられた。

非常に類型的な内容ではあるけれど。

物語は類型にならざるを得ない、とか、なんかそんな感じ。

前者の解説で、モームが、「物語に対する欲求は人類の本性に根ざしている」とかなんとか、言っているらしいけれど、それはそれでいいとして、書く側としては、かつて誰かが書いたに違いないものを焼き直す気にはならない。現代の模倣作を読むくらいなら古典を読んだ方がいい。

『宝島』(スティーブンスン)

書き手をヴェルヌと混同してしまう。

そんな冒険もの。

キャプテン・シルヴァーの造形がよい、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』の主人公の原型なんじゃないの、と思った。

***

物語は面白いけれど、TVドラマとか、漫画とかと同じで、後にはなにも残らない。

少年少女時代に、わくわくはらはらするようなのを読むのはいいことかもしれない。

2010年7月31日土曜日

チロ

チロの検査へ行ってきました。


白血病。

1~2年保つかもわからない命だと言われました。

ぼくが最期まで看取ることになりました。

衰弱しているので夏を越せるかわかりません。

おとなしくていい子なんですよ。

耳の掃除をしてあげました。

遊ぶのは、ちょっと、無理かな……

生きるとか死ぬとかって、なんなんだろうねぇ……

2010年7月29日木曜日

野菜が高くて困ります


お好み焼き。


手持ちの安い野菜がキャベツくらいしかなかったので。

材料: 水、粉、キャベツ、コーン、長葱、玉葱、紅生姜、揚げ玉、青海苔

卵を入れ忘れた……

試しに玉葱を入れてみた、甘みが出た。

玉葱ってほとんどの料理に応用できる気がする。

粉の原材料にもなににも肉っ気はゼロ。

マヨネーズさえあればいい。

花鳥風月


関東は

強い東風

携帯の限界で星に見える

満月

眺めながら呑んだ

2010年7月23日金曜日

半ごみ屋敷模様替え

※ごみ屋敷化したのはぼくではありません

拡大して見てください。


飼い猫用に昔からあったキャットタワーは奥のすみへ。

時間は21時前……

滅多に観ない邪魔な旧型TV。

よく見ると手前のケージが空…… こいつはうるさいのでどっかをうろちょろしています。

東側の出窓は意図的に殺しています。ある事情があって。

うちには意図的に殺したい窓がふたつばかりある。


成猫(チロ 推定2歳 ♂)には狭い二段ケージ、ごめんね、でもこの子は体調不良のせいもあってかおとなしい。

小さな声で鳴くが、撫でてやると満足する。

現在風邪薬処方中。

左隅に見えるあいつは…… 最近チロの尻尾を狙っている。というか、外に出すとチロがおとなしいのをいいことにあからさまに攻撃を加える。チロは気にしていない。


もっと狭いケージ。

周辺に見える物資の類は全部ボランティア団体からの借り物。

さっきはいなかった黒い影(クロッピー 3ヶ月 ♂)。

基本的に出せ出せとうるさい。

出してやると大暴れする。

疲れるとおとなしくなる。

暑さのせいか食欲が落ちている。

***

どちらも未検査なので、接触させることはできず、遊びたがるクロを外へ、甘えたいだけのチロは撫でたりブラッシング、抱いたりする程度。

この連中のもらい手が決まらない限り、ぼくはずっと一緒なわけだ。

行き遅れを持った親父の気分。

猫の世話は、楽なようで、生活力の低いぼくにとっては、そんなに楽でもないです。

この連中でいっぱいいっぱいで、最近はハウスへ行っていません。

家を空けることが多く、猛暑、室温34度とかになるので、気が気でなりません。

***

暇すぎるからブログに着手したけれど、もう飽きてしまった。

2010年7月19日月曜日

33の事情

ボランティアの知人に頼まれ、新しいPCのセットアップと壊れたPCの分解・HDD取り出しを手伝った。

お礼に5千円をいただき、貧乏なぼくは嬉しかったが、直後、 同額をボランティア年会費として納めた。

(年会費を支払って正会員になると、保護動物にかかるお金が全額会負担になる)

差し引きゼロ。

善意の奉仕を行って、予期せぬ報酬、それをそのまま丸ごと奉仕活動へ捧げる。

これほど美しい金銭の動きはない、と、延々考えてから結論付けたが、理性で納得したに過ぎない。

上述のことを、自分自身に言い聞かせなくてはならない、貧乏でケチで浅ましく即物的な自分がいる。

心から、そう思えたらいいのに。

修行が必要なんだろう。

正会員になったので、会員番号付きのストラップをもらい、いろいろな数字のなかから、33を選んだ。


33。

吉と出るか凶と出るかって感じ。

貧乏貧乏言っていると、いやらしいから、なるべく言わないようにしているんだけど。

2010年7月17日土曜日

潔癖症気味に神経質なの治したいなぁ

成猫保護しちゃった……


そのときぼくは自転車だったのだけれど、仲間というか友達が手伝ってくれて。

感謝しています、ありがとうね。

「飼い猫が雌猫の尻追っかけてるうちに帰れなくなったんじゃないかなぁ」、と、ボランティア歴長い人には言われた。

確かに野良という感じではなく、人懐こい、でも、首輪してなかったし…… がりがりで衰弱していて。

ぼく、間違ったことしたのかなぁ……

放っておけば、いつかは、帰宅したのかもしれず……

捨てられたという可能性もあるけれど……

そんなことを悩んでいました。

中途半端な猫、首輪はないけど飼われてるのか、たまに餌をくれる人がいる程度なのか、そういう猫は判断が難しい、ということを勉強しました。

でも、「失敗じゃないよ、衰弱した子を見付けたら回復させてあげたくなるのが人情だよ」、そう、先述のボランティアの人は言ってくれました。

成猫なので、ある意味、子猫以上に世話が大変です、つまり、スプレー(マーキング)とか。

ぼく、潔癖症気味に神経質なので……

ボランティアって結局、ある程度のお金もかかるし、労力もかかるし、自宅は汚れるし、理想と現実は難しいです。

去勢して、またもとの場所に放す、という案もあるらしいけれど…… たぶん、それは、やらない(ぼくにはできない)と思います。

ただの栄養失調なのか、病気なのか、目やにと鼻水があり、やや、心配ですが……

基本的にはおとなしくしています。年齢不詳。

とりあえず、体力の回復を待ち、病院で検査他をする予定です。

2010年7月14日水曜日

トマトは輪切りが太陽のようで美しくていいと思います

サラダうどん。


夕食7回のうち5回くらいがこれだから自慢にはならない。

豆腐サラダと限りなく似ているし。

うどん4玉100円くらいで売っていて、ひとりだと余るんですよ。

生ものでもあるし。

今日は久しぶりに犬猫ハウスへ行ってきて、成犬Mがもうよそへ移されていて会えず、寂しいものがあります。

うちの保護猫Kは元気にちょろちょろしています。

誕生日にもらったブロッコリーという名のなにか。


もやしじゃなくて…… なにかそれっぽいものに似ているけれど名前が思い出せない。

そのうち胃のなかへ行く予定です。

文学のことを少しだけ考えました。

2010年7月9日金曜日

33

風邪のせいか、疲労のせいか、昨夜12時間寝て今夜は眠れない。

二千年ばかり、いつまで経ってもやってこないJが死んだとされるのと同年になった。

ただそこにいるだけで絶望を体現する存在、というのがいる。

そんな人に出会った。

ほとんどそんな毎日だけれど。

殺さない死神たち。

夢見るヴェロナール。

「すべてを許します、だから、放っておいてくれないか」

名前も忘れた詩人の好きな遺言。

猫と対話した。

目と鼻にパンチされた。

いつもひとりだ。

アウシュビッツで、午前中は穴を掘り、午後は穴を埋め、それを繰り返す。

そんなことをずっと繰り返してきて、もうとっくに飽きたよ。

疲れたなぁ。

2010年7月6日火曜日

保護記録

知人の知人が保護した猫を保護しました。



オス、月齢1ヶ月半~2ヶ月程度、体重900g。

ぼくが自宅で面倒をみることになりました。

7月5日保護、同日フロントライン(ノミ・ダニ駆除)、6日三種混合予防接種一回目、同日ドロンタル(虫下し)一回目。

激しく暴れ騒ぎ、睡眠不足かノイローゼになりそうでしたが、やっとおとなしくなりました。

寂しいのか不安なのかよく鳴きます。

話しかけるか、撫でてやると、落ち着きます。

記録までに。

2010年7月3日土曜日

食器叩き割り療法は自己責任でお願いします

自分自身に対して、あるいは、自分の人生に対して、苛々、絶望することがしばしばあり、最も嫌いな人間は誰か? という問いに対して、自分自身か、両親か、究極の選択を迫られる、そんな人種のひとりなのだが、自炊をしていて、苛々、ぞんざいに食器を扱い、陶器が欠けた。

食器を叩き壊すとストレス発散になる、という話を思い出し、壁に叩き付けた。

指先を傷付け、血が出たが、放っておいたら、指先二本を汚した程度で止まった。

こんなことで死にはしない。

割れた破片の類を適当に部屋の隅に追いやり、掃除機を簡単にかけたら、足を切った。

知ったことかと思い、放っておいたら、血だまりができていた。

少し驚き、美しいと思って眺めていた。

こんなことで死にはしない。

2010年6月28日月曜日

写真追加

今日はひとりでほぼ全部やりました。

他の人が来るのを待っている間に撮った写真。


発見されたときには下半身不随だったY。

医者にだめだと言われたにもかかわらず歩いたり走ったりできるようになりました。

が、自力で排泄ができないので人間が糞尿をしぼってあげないといけません。


8匹の仔の親M。

臆病ですが、いまは仲良し。

最近は上記Yと2匹一緒に散歩しています。

どちらも基本的にはいい子。


N。

エイズですが元気いっぱいです。

いい歳こいて肩に登ってきます。


P。


K。

KとPは野良時代から仲良しでいつも一緒。

Kがエイズですが、Pにはなぜか伝染しないとのこと。


恐怖の大王G。

性別すら不明、近寄れません。

本気で攻撃してきます。

いつもここにこもって隠れています。

あとは仔犬が1匹、動きすぎて撮るのを諦めました。

わけのわからない1日でした。

2010年6月27日日曜日

お見合い

子犬8匹のお見合い。

(お見合いというのは、公園などでやる大々的な譲渡会ではなく、希望者の方と動物がハウス等で顔合わせするもの)

こんな感じ。


人間も8人くらいいました。

スタッフを入れたらもっと。

狭い家がすごいことに。

よくわかりませんが4匹くらい決まったそうです。

(ただし、先方の自分勝手で戻されてくる場合もある)

ぼくも多少世話をしましたが、見分けがつかない!

しかし、8匹に囲まれるとものすごいかわいいです。

でも、世話をするのは大変。

うんことおしっこの嵐でした。

もう会えないのかと思うと寂しいですが…… 次から次へとこの手の子は出てくるので…… あまり喜ばしいことではないです。

ちなみに、この子たちの母犬をぼくが散歩しています。

写真はいまのところないです。

おまけ。


激しく甘えてくるS。

隣の子の飯まで奪おうとするがっつき。


半永久預かりのM。

元々の飼い主が飼えなくなり、その息子夫婦だかなんだかが引き取るという噂だが実現しない。

初老のせいか落ち着いたいい子。

……どちらも白っぽい毛がつく、自分の服的には天敵。

黒い子は、動きすぎて撮れなかった。

他にも撮りたい子はまだまだいます。

が、携帯で動く対象を撮ろうとするとストレスが溜まります。

デジカメが欲しくなりました。

Micro SDとかいう2Gも入るものが500なんぼであり、ぼくのPCにはその手のものを挿す謎の穴が4つも空いているので、今日から使うようになりました。(送信しているとパケット料金がとんでもないので)

2010年6月25日金曜日

犬マスターへの道

成犬を二匹同時に散歩してきました。

犬と見ると喧嘩を売る子と、男性不信だった子。

なんの問題もありませんでした。

うんこをビニール袋ごしにわしづかみにするのにも慣れました。

一時間、約七千歩。

最近は自分自身の散歩はせず、基本的に犬と一緒に歩いています。

むしろ慣れられないのは猫の毛。

基本的に汚れてもいい服で行っていますが、

1. 服が毛まみれになる

2. 服から落ちた毛が車のなかに残る

3. おしゃれ着のときに間接的に毛が付着する……

という流れ。

神経質です。

黒い服ばかり着ているので、黒い子は平気。

夕食は、豆腐サラダとペペロンチーノをつくりました。

自分にしてはすごい。

野菜がやっと安めになってきました。

革細工のキーケースをつくりました。(革製品は所持しないようにしているのですが……)

週末は退屈です。

2010年6月20日日曜日

夏至の一日前

たまには真人間っぽいことを書こうと思いました。

いつの間にかひいた風邪で鼻水をたらしながら、犬猫ハウスへ行ってきました。

ハウスとシェルターの違いがよくわかりません。

ぼく、というより男性、が苦手な子(犬)がいて、ずっと仲良くなれずにいたのですが、今日は一緒に散歩をしてきました。

空は曇っていて、風が強く、でも、ぼくは、風に吹かれるのが最近好きになりました。

土手があって、川があって、田んぼがあって、空を眺め、雲を眺め、世界は美しいです。

ハウスにいる猫と遊び、いい子ばかりで、ものすごく甘えん坊で、しかし、ぼくが大好きな黒い子はエイズを患っています。

本当は彼らと一緒にいてあげたいのですが、自宅にぼくひとりなので、面倒をみる自信がなく、引き取るのには勇気がいります。

今日は散歩の他はほとんど仕事をしませんでした。

猫と遊んでいました。

帰りに黒い野良猫を保護しようとしたのですが、逃げられました。

安い野菜が水菜しかなかったのでそれを買い、豆腐、さらした玉葱、生卵、ノンオイル青じそで適当サラダをつくって食べ、枝豆少々、風邪薬を飲みました。



退屈なので、ブログを書く気になりました。

夜は基本的に退屈で孤独で寂しいです。

ドン・キホーテ(セルバンテス)

前後編やっと読み終わった。

長い。

入れ子構造のようになっていて、ある歴史家が書いた記録を、セルバンテスが編纂というのが基本形、しかしながら、後編になると、『ドン・キホーテ』という作品が作品世界でも流通している、という設定になり、しかも、偽作『続編』というのがあるのだが、その偽作の存在までも巻き込んでいる。

この仕組みはなかなか面白い。

たまに笑えるが、言葉遊びの要素があるので、原書にはかなわないだろう。

最後はそれなりに感動的。

牛島氏という翻訳者が非常に巧い。

2010年6月13日日曜日

卑近なことあれこれ

動物保護ボランティアをしている。

たまに献血。

ひとりで生活している。

一食100円以内。

肉は喰わない。

光熱費削減、環境保護、リサイクル。

自分の日本嫌いは、海外に住んでいたからで、たとえば、欧州の一部では動物の売買はできない。

許可を申請した人間が責任を持って飼うことが義務付けられる。

日本だと動物の遺棄や虐待は「一応」犯罪だが、そんなことは法を制定したやつすら知ったことじゃないようだ。

(幼児の虐待に罪罰は課されないのか? という声が聞こえてきそうだ……)

紙ごみやプラスティックを分別していたが、自治体が対応していないので、個人の努力には限界がある。

食品に税がかかる。無収入の人間が、じゃがいも一個買うと、5%搾取される。

欧米だと、贅沢品15%、加工食品7%、未加工食品0%とか、そんな風になっている。(当時)

一般人は投票権一票分しか参政権を持っていないから、誰だって政治に参加する気も失せるだろう。元首を選ぶことすらできない。

ぼくなりに頑張って生きています。

2010年5月31日月曜日

欧米の独自出版事情

欧米の出版事情というのを調べていて見付けた、独自出版の情報交換サイト。

Publetariat

商業主義社会の事情は、どこも同じらしい。

主流である、「売れそうな」作品しか世に出ない。

それは違うだろうと考える著者たちが情報を収集したり意見を交わしている。

やはり、独自出版の基本はeBook(電子書籍)で、記事によると、iPadなど、いくつかの媒体で手数料無料の独自出版は可能らしい。

現時点では、Smashwordsが完全に無料、Amazonは無料だがデータ変換ソフトが有償、その他にもいくつかある。

Smashwordsを少し見てみたが、ここは、インディー(アマチュア)作家専門の代理店のようだ。各作品の価格は著者が設定しているものと思われ、ばらつきがある。無料のものもある。対応媒体は、iPad(Apple)、Kindle(Amazon)、eReader(Sony)など。

大抵の場合日本はなんでも遅れているが、10年くらい待てば似たような業者やサービスは現れるかもしれない。

しかし、日本のこういった非個人主義的、非芸術的気質が嫌なら、自分自身で翻訳をするとか、あるいは英語の達者な文学理解者の協力を得るとか、いろいろと方法はある。

どちらにせよ、日本は芸術という観点ではだめな土地柄だと個人的には思う。

自分自身、英訳をすることは可能だが、直訳程度で、現地の中学生が書いたような文章になってしまうだろう。

それでもやらないよりはいいかもしれない。

たとえば、直訳程度でもいい、というなら、ぼくが仲間の作品を翻訳する、ということもできるかもしれない。

インターネットや電子媒体は、現代の芸術家の特権なので、駆使しないのはもったいない。紙媒体に固執しているのは、時代を逆行することだし、贅沢なことでもある。紙は貴重品だ。現代はアナログからデジタルへ、媒体や流通手段の過渡期でもあると思われるので、そう若くもない世代が適応に四苦八苦するのはやむをえないが。しかし、このことは、過去に埋もれてしまった文学者たちには与えられなかった可能性だ。

たとえ誰も作品を買わないとしても、自費負担なく自作を出版できる、しかも無料公開などではなく、電子出版元として、というのはものすごいことだ、と、ぼくは思う。印刷技術というのは革新だったわけだが、それに次ぐものだ。あとは、文学が常に抱える、言語の問題だけだ。

2010年5月13日木曜日

文学者の実践的生活は可能か

前回の話題を受けて。

在野の文学者は、卑屈に過ぎた。

優れた作品を投げ捨てるように無料で公開している。

デジタル流通が普及して以来、インディーのゲーム開発者、アマチュアの音楽家、でさえ、ウェブ上で作品を販売することができる。

売れるか売れないかはここでは問題ではない。

要するに、プロとかアマとかいうわけのわからない線引き、というのがある程度曖昧になった。

ところで、アナログの住人である文学者はすっかり置き去りを喰らっている。

価値の判断は主観だ、たとえ人気作でも、僕にはつまらないかもしれない、無名の作品でも、僕は評価するかもしれない。

だから、有名受賞作家の作品であるか、無名の素人の作品であるか、というのは、作品の質を問う場合問題にならない。

それでは、インディーのゲーム開発者、アマチュアの音楽家、などがやっているようなことが、在野の文学者に可能か? と問うたとき、残念ながら、答えは否だろう。

理由はいくつか。

1. ウェブを多用するような人間はほとんどの場合文学に関心がない

2. 文学に関心があるような人間はアナログ媒体すなわち書籍を好む

3. 文学そのものの需要が非常に低い

たとえば、文学作品のダウンロード販売などというのは非常に非現実的だ。

せいぜい、「自作を良いと思われましたら任意の額の寄付をお願いいたします」という程度だろう。

アフィリエイトというのは本質的に全然違う話で、広告会社のおこぼれを頂戴するに過ぎない。

たとえ馬鹿にされようが、そこにあるのは確かに作品なのだ……

自分の文学がまだまだである、という厳しい自意識ゆえに在野の文学者たちは卑屈なのであって、受賞歴がないからとか、職業作家に劣るからとか、そういうのでは全然ない。

それでは、在野の文学者になにができるのか? 少なくとも、大前提は、高踏文学の需要をもう少しばかり拡大することだろう。

あるいは、まったく不毛であろう高踏文学の普及など諦め、少数の文学愛好家のみを対象にする、しかしこれは、先に書いたようにデジタル媒体には限界があり、といって赤字にしかならない自費出版などは論外、八方塞がりに思える。

100人か1,000人くらいの文学愛好家が知り合いの範囲内にいるのであれば、最低品質の印刷物を安く配布するとか、可能性は皆無ではないのかもしれないが。

「文学は死んだ」と僕が言ったとき、ある人は、「文壇復興」だと言った。

具体的なことを…… 実践的なことを…… 最近は考える。

付記

現代のごみみたいな作品に絶望している人の話を聞き、彼は、僕の仲間の作品を激賞しているらしく、横の繋がりでもなんでも、そんな人物がそれなりの人数いれば、と、最後の案を連想した。

追記 5.14

デジタル流通を見限るのは早計に過ぎるかもしれない。

海外にはeBookと言って書籍のデジタル媒体があって、音楽のように素人が作品を販売できる。

国内にもそれに類するものはあったが、素人が販売することはできない。

もしやりたければ、自分でポータルサイトを立ち上げるのが一番いいように思われる。

2010年5月12日水曜日

芸術家の実践的生活

海外のゲームに関心があり、たまに情報収集をするのだが、たまたま、芸術家の実践的生活、というのに出くわした。

Jason Rohrer

彼は、創作のために生きている、ゆえに、単独で作品を開発し、「無料配布」の思想のため、開発が完全に終了した作品は無料化、技術はすべて無償提供、企業に所属したりはせず、他の仕事の片手間にやっているわけでもなく、当然儲からない。

奥さんと子供がふたり、年間130万程度で生活できる(米国)と言い、車は持たず、冷蔵庫はコンセントが繋がっていない、物欲的なものはほとんど買わず、中古品を買う、見た目が悪いなどで安くなっている食材を買い、家庭菜園も利用している。

実験的に環境保護の質素な暮らしをしていると言う。

開発を支援してくれる人からの寄付も募っている。

確かに生活資金は必要だが、生活のための人生じゃない、と言う。

生活に意義を与えるのは、創造性と、社会貢献だと言う。

「無料配布」と著作権に対する思想も理想的なものだが、ここでは割愛する。

娯楽性よりは、芸術性を意識した作品を開発しており、方向性としては、物語、言語的なので、文学との親和性は高い。

ゲームが芸術たりえるか? 自分はほとんど信じていない。

が、彼の思想と実践的生活は芸術家のそれではないだろうか。

このところそういったことを考えることが多かったので、ひどく感銘を受けた。

2010年4月26日月曜日

昨日に引き続き買い物。

服にうるさい僕はなかなかいいのが見付からない。

しかも金はない。

電車を待っているときに、

「人と遊ぼう」

と思い付き、都内の知り合い全員に、

「遊ぼうよ」

とメールしたが全滅。

仕方がない、予定通り買い物、孤独に。

煩わしい店員と煩わしい会話を山ほどし、そんな店員に引っかからなかった店で安い服を少し。

解放され、天気はいい、風は涼しい、暇な僕は公園にでも行きたいが公園は遠い。

駅前、献血のティッシュを配るおばちゃん。

僕は、血がお金になればいいのになぁ、などと思う。

「これってなんか得することあるんですか」

「ジュースとかお菓子とか…… 基本的にボランティアです」

なるほど。

「それじゃ、あなたもボランティアなんですか」

「わたしは仕事です」

なるほど。

「人生が退屈すぎるから」

という口癖があって。

人生が退屈すぎるから、献血してみることにした。

(ショーペンハウアーに敬意を表しつつ)

生命倫理とか考えたけれど、別にどうでもよくなった。

何事も体験。

結構、賑わっていた、僕は、みんながなんで献血をするのか、訊きたかったけれど、さすがに遠慮した。

飲み物とお菓子があって、漫画が読めるから、と答えられたら、僕は100%納得できる。

血液検査とかがおまけでくっついてくるからだろうか。

なんだかんだで2時間くらいかかって、血を採られたり、血を戻したり、血を戻したり、血を採られたり、した。

久しぶりに大量の血を見た。

ちょっと、美しい、と思った。

狂気は遺伝する、と、昔から言う。

僕のくそったれの血を注入された人は、狂気を取り込んでしまうのか、彼の体内で浄化されるのか。

まぁ、いいや……

オニオンスープを3杯と、お菓子を少し、それから、謝礼に300円くらいのお菓子詰め合わせ。

たぶん、血って、その10倍か100倍くらいの価値はありそうな気もするけれど、まぁ、いいや、地味に楽しかったから。

僕はここ数日元気です。

でも寂しいです。

子供の作文みたく書きたかったけれど、失敗。

歩きながら、自己活性と防衛反応と憎悪と激怒の詩をずっと考えていたけれど、難しいなぁ。

2010年3月29日月曜日

芸術の無意味性と生活からの分離

先日、友人と、文学の無意味性、また、文学を含む芸術全般の、生活や世界からの分離、ということを話した。

かつては、芸術、宗教、生活、というのは、結び付いていて、それが通常の世界のあり方だった。
神話文学や神話美術は同時に宗教であり、そして宗教は生活と密着していた。
いつからか、それら生活の内容は分裂し、細分化された。
その結果、総体的であった生活は、労働、娯楽、芸術、宗教、等の概念に分裂し、さらに、分裂後に孤立した芸術行為は、本来的な意味を失った。
というのは、芸術それそのものは独立しては生活たりえないので。
むしろ、生活に反してさえいて、なんの役にも立たないどころか、無駄でさえある・・・

改訂 2016

上の議論は、即物的すぎますね…
芸術の役割は時代によって変遷しているのだとは思います。
現代では、芸術に固有の「意味」「価値」「美」「精神性」そのものに価値があると考えています。
確かに、生活とか生存には役に立ちませんが…
しかし、現代ではずいぶんおざなりになっていますが、「高貴さ」「気高さ」「崇高さ」などのような精神性は教養(芸術)からしか得られないようです。
ありきたりな言葉でいうと、心の豊かさ。
生活、お金、世渡り、そんなことばかりだと、人間の質そのものが落ちていってしまうようです。
究極的には、芸術的な人間や創造的な人間は、ずっとましな社会をつくれると考えています。
そういう意味では、より深いレベルで実際に役立つともいえましょう。
人間存在そのものを洗練するという意味で、芸術は欠かせません。

2010年1月7日木曜日

最近の傾向

自分の書いた文章に、吐き気を催す。

なんという愚かさ。

それだから、過去のものを、いくつか、消した。