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2008年7月4日金曜日

わたしの挨拶

 最期に書いておかなくてはならないことがある、そんな気がする。

 わたしが幼い頃、どこかで教わった気がする。「生命とは尊いものです」わたしの経験は異議を唱える。「もっとも尊いのは金銭である」
 わたしが幼い頃、母に連れられて、見知らぬ町中を歩き回り、大人の真似事をしていた。わたしは本当は学校へ行きたかったのだ。
 わたしが幼い頃、弟が母に叱られていた。わたしの心臓は締め付けるようにひどく痛み、弟の代わりにわたしを叱ってくれるように頼み込んだ。

 わたしが自分自身の死について考え始めたのは、十代の頃で、いくつのときだったか、手首を切って浴室に転がっていたことがある。
 ひどく醜い傷跡が残った。
 あるとき非常に腹を立て、逆上し、当時わたしの宝物だった赤い楽器を蹴り倒し、自室を簡易ガス室と化したものだ。
 大量虐殺者なら泣いて喜んだことだろう。
 目が覚めると緊急治療室にいた。
「聖書が読みたい」と真っ先に思った。

 人々は死んでゆく。
 わたしは彼らに親愛の念を込めて挨拶したものだが、彼らの手は遠すぎる、届かない。

 わたしの存在はすべてを否定する。
 わたしの存在は生命の尊厳を否定し、金銭の価値を否定する。
 わたしはわたし自身であることを謝罪しなければならない。
 わたしの母は、まさかこんなものが産まれてくるとは思いもよらなかったので、絶望してしまった。
 わたしは自身を恥じ、親戚から逃げ回らなくてはならなかった。
 誰かと同じ墓に入るのはとても恐れ多いと思い、だから、わたしは散骨を申し出た。

 要するに、わたしに絶望があるとして、わたしに不幸があるとして、それは、他ならない、わたしがわたしである、ということであり、わたしは神の喪失を非常に残念に思う。
 わたしを裁いてくれるものがいないので、わたし自身がその任に当たらねばならず、それも、神の法によってではない。

 わたしは喜んで去っていくのだから、わたしに挨拶をするときは、笑顔で見送ってほしい。